三省堂 英語ホーム > 英語教育コラム > マンスリーコラム【2004年3月】 | ||||||||||||||||
H. G. Widdowson (Teaching Language as Communication, 1978) は、classroom presentationをusageとuseに分けて例を挙げ説明している。次に挙げるのはusageに該当する、教師と生徒の対話である。
この活動では、テーブルの上に本があり、床に鞄があることを教師も生徒も既に知っていることを前提にして、機械的に存在文と所在文の練習が行われている。
この活動では、教師はdusterとMaryがどこにある(いる)のか知らない。そして、それを知っているかもしれない生徒たちに尋ねている。生徒たちは、dusterは教師の椅子の下にあることが見えているし、Maryは体調不良である(在宅しているか保健室にいる)ことを知っていて、教師にその情報を伝えている。 Usageとuseの大きな相違は、useのほうには一方が知らない「情報」があること、また教師が黒板の文字を消すのにdusterが必要であり、出席をとるのにMaryがどこに行ったのか知る必要があるという「必要性」の存在である。その結果、対話がmeaningfulになっている。 ともすると、文法指導はusageのほうに傾きがちであるが、文法をコミュニカティブに指導するためにはできるだけuseになるよう工夫しなければならない。 Useの対話の例として挙げた一部をもう一度考えてみよう。
この応答を文法的に判断するなら、これはungrammaticalである。所在場所を尋ねているのに、体調を答えているからである。しかし、日常会話としてはこの応答はきわめて自然である。このあたりが文法指導をコミュニカティブに行うことの難しさである。 このように、コミュニカティブな活動をしようとすると言語形式(上の例でいうと、存在文や所在文)を指定しておくことが困難になるので、秩序だった文法指導は不可能であるという悲観論になってしまう。教師ができることは、ある言語形式が生起する可能性の高い場面や状況をできるかぎり多く準備し、ねばり強く学習を待つことであろう。 前回提案した作文活動の中での接続詞の学習ではuseに近い状況が生じることが期待される。また、年齢や川の長さを比べる活動の中で比較級の学習がすすみそうである。行為の目的などが明白なものについて話し合い、それを目的を示す不定詞の学習に結びつけることもできる。過去と現在と未来が明白に意識できる出来事や行為を表現する中で、時制について学習することもできよう。 このように、まず、場面や状況や必要性といった要素を第一に考慮し、それに付随して生起する言語形式の学習を狙うことである。usageの例がそうであるように、従来は言語形式を第一に考え、場面や状況や必要性への配慮が薄かった。文法指導についても発想の転換が求められているのである。 鳴門教育大学 太田垣正義 ■バックナンバー |
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