三省堂 英語ホーム > 英語教育コラム > マンスリーコラム【2004年1月】 | ||||||||||||||||
これまで文法は、文法問題や文法訳読式授業の中でその存在感を発揮してきた。そのため、文法は言語運用を妨げるものと見なされ嫌われてきた。文法は本来ことばの仕組みであり、実際の言語運用に役立つもののはずである。文法が言語運用の敵であるような印象を与えるのは、教師による文法の扱い方に問題があったからと言えよう。 テストの中で、文法問題は重要なことばの仕組みを学習者がどの程度身につけたかを確認するためというより、彼らを選別するため難解な箇所や例外的な規則などが多く出題されてきたように思われる。テストでは知識の量という観点でなく、コミュニケーションの可能性を配慮した問題にすべきではないか。とすると、学習者の文法知識を測るのに、文法問題を解かせるのが適当かどうかという議論がなされなければならない。 文法訳読式授業について言えば(中学校の授業ではこれが減少していることは喜ばしいことである)、これはリーディング指導の本来の姿に変えるべきである。わが国では、1文1文丁寧に解釈していくボトムアップが主流であるが、できれば大意を把握した後で細部に至るトップダウン方式をもっと採用できないであろうか。難解な文法用語を解釈の活動に入れる必要はなく、例えば他の似た文との比較や英英辞典からの引用や説明を利用するなどの工夫をし、焦点は内容に当てて指導を行うべきである。表現の中からルールを見つけ出すのは学習者にゆだねるのである。 中学校段階での指導では、文法項目の導入に際し、演繹的に扱うのでなく、多くの例文を用意して、生徒がその中から自分でルールを発見し理解するよう帰納的に指導したい。例えば、3単現の-sの指導では、次のような文を板書する。
そして、左のグループと右のグループの文の相違について考えさせる。教師は我慢強く待たねばならない。なぜこの相違が生じるかは生徒自身が見つけることなのである。人称や数について生徒が注目するよう適切なヒントを準備しておくことは必要かもしれない。教師が説明してしまえば10分ですむことなのに、なぜこうする必要があるのか。それは、ことばの仕組みについて学習者に考えさせ、発見の喜びを体験させるためである。この体験は、以後の学習にも生きてくるものなのである。 次回からは、活動の中でどのように文法指導をするかについて提案したい。 鳴門教育大学 太田垣正義 ■バックナンバー |
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