三省堂のWebコラム

大島希巳江の英語コラム

No.12 Noと言わないで済んでいる日本人

大島希巳江
神奈川大学外国語学部国際文化交流学科教授,「NEW CROWN」編集委員

2019年09月24日

 昔からNoと言えない日本人,Noと言わない日本人,というようなことが言われ,あいまい表現や白黒つけない文化などが取り上げられてきました。いま改めてアメリカに住んでみてつくづく思うのは,日本に住んで日本人と付き合っている限りは「Noと言わないで済んでいる」ということなのではないか,ということです。日本ではNoと言わなくても滞りなく生活できるので,Noと言う習慣や状況が生まれにくいのです。それで異文化と接触した際にNoと言わなければどうしようもない事態に陥りつつも,Noと言う習慣がないのでなかなか言えずにトラブルになってしまう,といったところではないでしょうか。

 

 アメリカの小学校でこんなことがありました。愛想がよくて社交的な12歳の長男,どこへ行ってもすぐに大勢の友達ができます。ランチタイムも仲良しの子たちと一緒に食べていましたが,最初の1か月くらいはなんとなく日本食が恥ずかしかったらしく,サンドイッチなど周りの子と同じようなものを持っていきたがりました。やがてsushiはかなり人気の食べ物だということが分かったらしく,のり巻きをお弁当に持っていきたいと言い出しました。喜んで毎朝,エビフライ巻き,アボガド&カニカマ巻き,卵焼き&きゅうり,サーモン&チーズと,子供が喜びそうなものを巻いて持たせたのです。するとすぐにお弁当をほとんど食べられないと言いだしました。お友達に食べられてしまうから,だそうです。

 “I love sushi! Can I have a piece?” これが一人や二人ならまだしも,とにかく友達が多い長男。そしてさらにNoと言えないのです。 “Well…, sure, OK.” とつい言ってしまうのは気が弱いのか,愛想がよすぎるのか,やはりNoと言えない日本人なのか…。あっという間に9個くらいなくなっちゃうと言うのです。でも断れない気持ちもよくわかります。親としては,長男の食べる分がなくなってはかわいそうだから,と友達の分まで余分にのり巻きを作って持たせる始末。

 

 日本ならこのようなことはなかなか起きません。友達が持ってきたお弁当がおいしそうだからといって,一つちょうだい,と言うことも少ないと思いますが,何人もよってたかってちょうだいと言って持って行ってしまっては,本人の分がなくなってしまうということに周りのお友達はすぐ気が付いてくれるからです。あと残り何個あるかな,もらっちゃっても大丈夫かな,なんて細かいことまで察して遠慮するという気づかいは子供でもあるように思います。「おお,うまそうだな,お前の弁当」「一個いる?」「いいよ,お前のなくなっちゃうだろ,お前食べろよ」という流れの会話がごく自然に行われます。だから子供の頃から,日本ではNoと言わないで済むようになっているのですね。アメリカの子供たちは違います。本人にちょうだいと言って,OKと言われればそれがたとえ最後の一個でも持って行ってしまいます。本人が十分に食べたのかどうかのチェックはしてくれません。その代わり,“Can I have a piece?” と聞いて相手が “No, come on, I haven’t eaten a piece yet.” とでも言われてはっきり断られても,気分を害するわけでもないのです。“Oh OK, sorry. Next time!” ぐらいのものです。

 長男もすぐにこれに気が付いたようで,十日もたったころ “I don’t need extra sushi anymore. I’ll just say no.” と言っていました。自分でそう判断したようです。お友達も悪気があるわけではないので,ダメならダメと言ってくれればそれ以上とったりはしないわけです。

 

 私たちは普段,相手の「察する能力」にかなり頼ってコミュニケーションをはかっています。言わなくてもわかってくれるだろう,という言葉の裏にある期待が言葉足らずにしています。お互いをよく知っている仲であれば,それは別に日本人同士でなくても通用することです。しかしそうではない場合,会話の目的がなかなか果たせません。特に子供は相手の言っている言葉以上のことを察しようというつもりもないので,難しいと今回の一件で思いました。私自身にも,こんなことがありました。ある日,エメットくんという長男のお友達から声をかけられました。

 

Emmett: Hi Kimie, can I come over this weekend for a sleepover?

Kimie: I would love to have you over, but we are out of town this weekend. (Noとちゃんと言っていない)

Emmett: Oh, when are you guys leaving? Can I come and stay just Friday night?

Kimie: Ah, well, we are leaving really early on? Saturday morning, so…. (やっぱりNoと言っていない)

Emmett: OK, I’ll leave early on Saturday morning, too.

Kimie: The boys have tennis tournament on Saturday. I don’t want them to be tired.

 

 こんな具合で先の見えない会話は延々と続き,ついに「ごめんね,今週末はダメだから次の週末にしない?」と伝え,エメットくんは「わかった,そうしよう!」と了解してくれたのでした。この時も,日本なら最初に「今週末はうちいないのよー。」と言っただけで,その週末は遊べないのだとすぐに理解してくれることが多いと思います。英語なら “I would love to do that, but I’m sorry, we cannot do sleepover this weekend. We are out of town this weekend. Some other time?”と最初から断ればすぐに済んだのでしょう。やんわり断ろうとして,かえってややこしいことになってしまいました。

 

 とはいえ,相手に合わせてとにかくNoと言うのがいいとは思いません。結局は日本文化,アメリカ文化,のように大きな枠だけでコミュニケーションスタイルを決めることはできないと思います。全体の傾向はあるにしても,ものの言い方はやはり個性だと思います。日本人の私としては,No以外の言葉を尽くしてなるべく明確に丁寧にお断りをする工夫をする…,という修行中です。

(掲載:2019年9月24日)

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大島希巳江 著

定価 2,200円(本体2,000円+税10%) A5判 128頁

978-4-385-36156-7

2013年6月20日発行

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プロフィール

大島希巳江    おおしま・きみえ
神奈川大学外国語学部国際文化交流学科教授,「NEW CROWN」編集委員

教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。

1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。

著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。

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