堀田龍也(東北大学大学院教授)×松永和也(桐蔭学園国語科教諭)
2020年11月24日
言葉を選びとる力と,選ばれる言葉の獲得
松永:対談の前半,堀田先生は「国語科の授業も,時代に合わせて変容していってほしい」といったことをおっしゃいました。
これまでの国語教育が,教科書教材のような「選抜された言葉たち」に多く触れ,精読して力を磨いていくことだったとすると,これからは,いわば「情報の海」から「言葉を選びとる力」も必要になってくると考えています。私は「ワード検索能力」と呼んでいるのですが,今必要な情報はどういうワードで検索したら得られるのか。そういう力を伸ばしていきたいと考えています。
堀田:まさに国語の学習で身につけてほしいことの一つです。検索ワードというのは,情報の代表性を的確に見抜く,要約の一つですからね。
松永:もう一つ,SNSなどで万人が日常的に発信する今の世の中では,「選ばれる言葉」の獲得も大切だと考えています。「みんなちがってみんないい」という牧歌的世界観だけで生きていける訳ではなくて,みんなの発信のなかから選ばれるような言葉の獲得が必要です。それには,NIEの新聞の読み比べなども有用だと思います。
堀田:今の子供たちは,旧来の国語教育では立ちゆかない「情報の海」を泳いでいかねばなりません。さらに,将来彼らが社会に出て働くころには,情報を選びとるのはAIの仕事になるでしょう。今もすでに,SNSの広告などはAIによって選別されています。そうなると,人間に求められるのは,AIが示す答えをクリティカルに見る力,ということになるでしょう。そのような時代を見据えた国語教育が,小学校はともかく,中学・高校で意識されているのか,心配しています。
外国語で書かれた資料だったり動画だったり,今は多種多様なものから情報を得,また発信していく必要があります。ですが,情報がどのような形をしていても,僕たちはそれらを言葉で解釈・集約しますし,自分の言葉に紡ぎ直して表現します。情報のやりとり・処理の多くを「言葉を介して行っている」という自覚は大切だと思っています。
これからは国語の時代。責任重大ですね。僕は,時代に合わせて国語の教育内容・教育方法が大胆に変わることを期待してます。ただ,どこからどこまでを国語教育が担うのか,その再定義は必要だと思います。
学習と考査・評価のつながり
松永:そうですね。教員は現実的には,共通テストなどを無視はできません。どのように学びを拡張していくかは大きな課題です。
共通テストでは,記述式問題の導入見送りが決まりましたね。PISAでも国際バカロレア(IB)でも記述式はあるのに,です。世界の教育の動きに大きく後れをとっていると感じます。共通テストで見送られたからといって指導しなくてよいということではないと思っています。
学校で行うテストにも課題を感じています。授業でタブレットを活用しても,考査は紙で行っているのですよね。パフォーマンス課題を取り入れても,活動の成果などを手で書き写して回答させています。
日々のタブレットでの学習と考査・評価とをもっとうまくつなげられたら,と考えています。
堀田:PISAや学力調査などもその方向で動いていますね。ただ,まだ非日常の範囲を出ません。学習と考察・評価の双方がデジタル化されると,考査からのフィードバックによる学習など,デジタル化の効果がより体感できるようになると思います。
タブレットが導入されたあと,買い替えの負担をどうするかといった議論がありますね。たとえば子供は,鉛筆やシャープペンシル,ふで箱などは家庭の負担で買っています。カバンもそうです。机は学校の備品ですね。タブレットやPCは,文房具の一つと考えれば家庭負担ということになります。そのときに我々が保証すべきなのが「負担に見合うような教育がなされるのか」ということだと考えています。学習から評価までのサイクルがデジタル化されていけば,「負担に見合う」「あったほうがよい」ということが,生徒や保護者にもっと伝わっていくでしょう。
問いを立てる力
堀田:松永先生は,今後どのような国語教育を目指されますか。
松永:「問いを立てる」ということを大切にしていきたいです。今までは,教員が発問を工夫してきました。これからは,生徒たちが問いを立てる学びにしていきたいと思っています。
問いを立てる経験を重ねるうちに,生徒たちは「機能する問い」とそうでない問いがあることに気づきます。読みを深めたり,言葉に精密になっていくような本質的な問いとはどのような問いなのだろう。生徒が考え,力をつけていける授業をしていきたいです。
堀田:学習指導要領でも,「問題解決能力」といっていたものが今回「問題発見・解決能力」になりました。「解決」をAIが担う時代を見据えて,「発見」できることを重要視する考えの現れです。そもそも,自分の学習を自分で組み立てるときに,問いがもてない,自分がどうなりたいか描けないのは致命的です。「教えてもらったらできます」では不十分です。流れが速い時代において,学び続け,自分を更新し続けるためには,問いを立てる力(問題発見能力)は必須です。
たとえば「おくのほそ道」を学ぶにしても,一文ずつの読解だけでなく,なぜあの時代にこんなことを書いたのか,なぜ今も読み継がれているのか,そういった問いが生徒たちの中から生まれてくるようになったらすばらしいですね。
松永:そうですね。中学生・高校生の知識・行動範囲では扱いきれない問いもあるかもしれないけれど,すべての「問い」に今すぐ答えられなくてもいいんです。先日も「走れメロス」で問いを立てさせたとき,「メロスは羊を何匹飼っていたか」と言った生徒がいて,何度読んでも結局わからなかったのですが,「けっこうお金持ちだったんじゃないか」という観点が出てきたりして有意義だったと思っています。
堀田:「メロスは全力で走っていたのか」を検証した中学生のレポートがたいへん話題になったことがありましたね。自分や友達が立てた問いに答えを出すためには,何度も読むし,叙述を追わなくちゃならない。たとえ答えが出なくても,繰り返し読むことは大事な蓄積になります。
それにしても,大人になっても会話のなかで「メロス」といえば「走る」というくらい「メロス」は浸透していて,名作の力を感じます。国語の授業では,ほかにも名作と呼ばれる文学作品を読みます。「ごんぎつね」「やまなし」「舞姫」……。ただ,学習指導要領は「『舞姫』“を” 読むべし」とは書いていません。教科書にある教材をどう使って,その教材 ”で” 何を身につけさせるか,という教材観が大切です。松永先生は,生徒に自ら問いを立てさせることで,より汎用的な,子供たちが生きていくうえでとても大切な力を身につけさせようとなさっているのですね。
松永:生徒に問いを立てさせて考えさせるということは,すでに多くの先生が実践なさっています。生徒から出てきた問いの中からいくつかをピックアップして次に進むとき,それも生徒に選ばせる,教員が選んでしまわない,というのは,実際にやってみると勇気が要ります。ですが,取り組みを続けていきたいです。
(構成・編集部)
堀田 龍也 ほりた・たつや 東北大学大学院情報科学研究科教授。専門は教育工学・情報教育。『情報社会を支える教師になるための教育の方法と技術』(三省堂),『間違えない学校ICT』 (小学館),『「これからの教室」のつくりかた』( 学芸みらい社)等著書多数。
松永 和也 まつなが・かずや 学校法人桐蔭学園国語科教諭。ワークショップデザイナー。勤務校では「アクティブラーニング型授業・探究・キャリア教育」の三本柱に取り組む。
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