神里 達博
千葉大学国際教養学部教授
『現代の国語』3年「フロン規制の物語」原著者
2017年05月24日
「科学」というと,法則や考え方などのきまりがあって「ピタッと正解が決まるもの」というイメージをもつ人が多いかもしれません。中学校などの理科の時間を振り返ってみると,確かにそのイメージが当てはまります。けれども,大学や大学院で専門的に研究するようになると,その概念はくるっと反転して,科学の世界というのは,「正解にたどり着くのは難しく,だが自由で,謎めいた」ものだと知ることになります。むしろ「わからないことでいっぱいの世界」を扱うのが科学なのだといえるでしょう。
現代人は,科学が高度に発達した,それゆえに複雑な状況に置かれています。科学そのものや科学がもたらす技術が「万能感」を与えていた時代もありました。しかし,それらが必ずしも人間の生活をよりよくする「善なるもの」「万能なもの」とは限らないということも,現代を生きる私たちにはわかってきました。「科学的に正しい」とされたことであっても,修正されたり補完されたりして変化していくものである――このような「科学についての概念」をもつことが大事だと思います。
環境問題にしても,「フロン規制の物語」で取り上げたフロンによるオゾン層破壊のほかにも,深刻な課題,複雑な問題がたくさんあります。正解はおろか,解法すらわからない問題と,常に向き合い続けなければならない時代に私たちは生きています。
そうした課題,問題と取り組むためには,科学そのものに対する見方・考え方を含めて,今までの「常識」や「慣習」や「権威」を疑ってみること,また,多角的な視点からものごとを捉え直してくことが必要です。文系・理系を問わず,論理的に思考すること,正確に読み解くこと,推論すること,いろいろな立場や考えの人とコミュニケーションをとることが求められています。
このような時代に私たちが必要としている「知」は,単体の知の集積よりも,知と知のつながりについての「知」です。知に閉じない知。「メタ知」といってもよいかもしれません。研究の世界においても,研究室の壁,文系と理系,機関や組織の枠,国境を超えてつながっていくところに,創造されていく「知」が求められています。
身体がつなぐ「知」
知と知をつなぐコミュニケーションにおいて,キーワードになるのが「身体」です。
学校の授業は,身体と身体が出合うところに知が生まれる典型的な場です。今,教育現場で盛んに「アクティブ・ラーニング」といわれていますが,その本質は「身体性」にあると私は考えています。グループになって顔と顔を突き合わせて話し合うときの,その声や表情,しぐさなど,生身の他者の身体に自分の身体が反応する,「共鳴」の体験や感覚をもって学び合う場。ネット化が進むことで身体性が急速に失われていくなかで,こうした場の重要性に私たちは気づきはじめています。
生身の身体が共鳴し合う授業では,ビデオ配信のように全く同じことを同じように繰り返し提供・再現することはできません。「いま・ここ」という場は二度とないという意味で授業は一期一会です。だからこそ,教える立場の人間は,そこに,からだをはって臨むのでしょう。「からだをはる」とは,気持ちの問題だけではなく,「リスクをとる」という面もあります。それは結局のところ,「教える知識に濃淡をつける」ことにほかなりません。例えば,教科書に書かれていることを濃淡つけずに平板に教えるのは無難であり安全でしょう。しかし,平板な知識の提供に対して,人は心を揺さぶられません。
知識に濃淡をつけるには,その知識に対する自分の考え方や姿勢が問われます。自分のつけた濃淡が果たして「正しい」のか。ここにリスクが発生するわけです。このリスクを受けとめて――からだをはって――一期一会の授業に臨むのが私たち教師のあり方だと思っています。
ことばのもつ力
私たちは,ことばによって,自分が経験していないこと,自分が経験できないことを,臨場感をもって疑似体験することができます。これは,ことばの作用の本質です。
ことばを通じて出合う世界。そこへの入り口が閉ざされてしまうと,人は自分が直接経験したことだけの人生になってしまいます。逆に,その入り口が開くと,「見えないもの」「出合えないもの」「遠くのもの」「知り得ないもの」「過去のもの」「未来のもの」を体験することができます。その世界へつながるトンネルとして,「ことばで編まれたものを臨場感をともなって読む」という営みがあるのだと私は考えています。
そのトンネルをくぐれるようになるには訓練が必要で,それが「勉強」です。まずは,どのようなことでもかまわないから,少しでもおもしろいと思えるものに関して書かれた文章を読む。一度「トンネルを抜ける」経験をすれば,あとはそのおもしろさにやみつきになるはずです。
中学生のみなさんには,自分がおもしろいと思えるものを見つけて,ぜひ,たくさんのトンネルを通り抜けてほしい。そして,その先にあるもの・ことを体験して,世界をどんどん広げ,深めてほしいと願っています。(構成・編集部)
(「ことばの学び 教材ガイド3号」2017/4発行より転載)
神里 達博
かみさと・たつひろ
千葉大学国際教養学部教授
『現代の国語』3年「フロン規制の物語」原著者
科学史家・千葉大学国際教養学部教授。博士(工学)。1967年神奈川県生まれ。東京大学工学部化学工学科卒業後,同大学院総合文化研究科広域科学専攻(科学史・科学哲学)博士課程単位取得満期退学。科学技術庁,三菱化学生命科学研究所,大阪大学コミュニケーションデザイン・センター等を経て現職。新聞の論説委員もつとめる。著書に『食品リスク』,『科学技術のポリティクス』(分担執筆),『没落する文明』(共著),『文明探偵の冒険』などがある。
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