大島希巳江
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
2025年01月30日
私たちが普段無意識のうちに従っている合理的で協調的なコミュニケーションの4原則について、前回は量の公理についてお話ししました。この「協調の原則」は会話の中で期待されている返答を理解すること、つまり相手の意図する含意を正しく推測する能力が必要とされます。ある程度の社会性や常識を持った人であれば、それほど難しいことではなく当然のように身につけることのできる能力です。だからこそ、この原則が破られると不愉快になったり、肩透かしを食らったような気分になったりします。ユーモラスな会話が生まれるのは、このような会話の原則が故意に違反されたときです。以前このコラムでも取り上げたユーモアの理論に「社会的規範(常識)からの逸脱」というものがありますが、「協調の原則」は社会的規範(常識)の部分に当てはまるので、この原則から逸脱することでユーモラスな会話ができることは理論的であると考えられます。
協調の原理「質の公理」
「質の公理」とは、会話において根拠のある真実を話すという原則です。理由のない拒絶や根拠のない話は相手に不信感を与え、会話を成り立ちにくくします。例えば、「遊びに行こうよ」に対して「いやだよ、なんだか嫌な予感がするんだ」などと返答したり、「ああ、あいつはそそっかしいからな」と初対面にも関わらず言ったりするような根拠のない話は、本来成り立ちません。話し相手に、随分と適当なことを言っているという印象を与えます。そこで、そのような会話を無理やり成り立たせておもしろさを出す方法が落語や漫才に見られます。ここでは、「酢豆腐(ちりとてちん)」という噺を例にあげてみましょう。
酢豆腐(ちりとてちん)
どんなに珍しい食べ物をご馳走になっても決して喜ばず、常に知ったかぶりをする生意気な近所の男、竹さんと言う人物がおります。ある日隣の家の旦那が竹さんをギャフンと言わせようとたくらみ、腐った豆腐にわさびやら唾やらいろいろなものを混ぜて食べさせようとします。
「・・・ところでな、わしの友人が長崎から珍しいものを持ってきたんだよ。」
「長崎からねえ? よし、見せてみな」
「ああ。これが長崎名物ちりとてちんっていうんだよ。」
「・・・なに?」
「長崎に行ったことあるんだろう? 知っているはずだよ、あの有名なちりとてちん!」
「あー? ふむ・・・、うーん、ああ、わかった! はいはい、いま思い出した! 旦那、発音が悪いから・・・(笑)。ちりとてちんじゃなくて「ちりとーてちん」だよ。ああ、あれね!あれ知らないの? まあ、たいした食べ物じゃないけど、まあうまいね。ご飯にも合うし、酒にも合うし。俺が長崎にいた時は、1日に3食あれを食べてたよ。」
「・・・じゃあ、あれが好きなんだな?」
「ああ、もちろん。」
「ほうほう、それじゃあ、ほれ、これをどうやって食べるのか見せてくれ。わしは食べ方がわからんのだよ」
「わかったよ、どれどれ・・・(箱を開ける)・・・ううーん、くさいっ!!」
「知っているんだろう?」
「もちろん、知っているとも! うまいんだよ、これが。ちりとーてちんは目がウルウルして、鼻がかゆくなるくらい匂いがキツい。これくらいの時が特にうまいんだ。この匂いは本物だね、うん。でも・・・、俺は今朝もうこれ食べたから、もういいかな・・・」
「でもお前、1日3回食ってたんだろう?」
「そんなこと言ったっけ? 旦那、本当に食べないの? ほんと? いや、わかったよ、じゃあ俺が食ってみせるよ・・・、でも・・・、これはそんなにたくさん食べるようなものじゃないんだ、わかるだろ。ちょっと・・・、ほんのちょっとだけ箸の先で・・・、ちょっとこのくらいだけつまんで食べる・・・」
「早く食え!」
(しぶしぶ、思い切って食べる。もがき苦しんで)
「うっ、うああっ、うー、うー、うまいっ!」
「うまい!?」
「ええ、だけど、ちょっと、いや、たいしたことはない! たいしたことはないが・・・、ううむう、水をくれ!」
「お前、泣いてるぞ」
「ええ、あんまりうまくて、泣けてくる」
「で、どんな味だい?」
「ああ、ちょうど腐った豆腐みたいな味」
これは、竹さんに一杯食らわすつもりの旦那のもくろみと、竹さんの知ったかぶりという両方の背景がなければ成り立たないような会話です。お互いが嘘をつき続けているために根拠のない会話が延々と続いていきます。本来であればどこか途中で「竹よお前、この食べ物を知らないだろう」もしくは「旦那、こんなもの長崎名物なわけないでしょう」と相手の嘘を見破って、会話は続かなくなります。質の公理を破りながらも会話が途切れないところがおもしろい場面ですね。
協調の原理「関連性の公理」
「関連性の公理」とは、相手の言ったこと、もしくはその時の状況や会話に関連のあることを話すというルールです。たとえ会話中に話題を変えるときであっても、「・・・そうね、うちも新しいテレビ欲しいわー。そういえば、テレビで思い出したんだけど、火曜日のドラマみた?」のように、前の話に関連させた方が話題の移行はスムースに行えます。多くの場合、人はこのような関連性の原則を守って話を進めており、突拍子もない話をして相手を困惑させないように配慮しているのです。しかしここでも、関連性の公理をあえて破ることの効果があります。唐突に関係のない話を始める、もしくは一見関係がないように聞こえる話を始めることによって、「なぜこの人はこのようなことを言い出したのだろう。きっと何か意味があるに違いない」と相手に考えさせ、聞き手の関心を引くことで、注目を集めることができます。そして一見関係のない言葉が、会話におもしろさを持たせることができます。このような効果から、関連性の公理に違反した会話がユーモラスになるのです。古典落語の「抜け雀」にはこのような場面があります。
抜け雀
「はあ、するとあなたは絵描きさんですか。」
「そうだ。」
「で、そこに描いてあるのはなんですか?」
「お前の顔についている二つの穴はなんだ?」
「・・・目ですが?」
「それならちゃんと見ろ。」
「はあ。雀ですかね。下手ですな。」
何の絵を描いたのか、という質問には絵描きはまったく答えておらず、その代わりに一見なんの関係もない質問で返しています。この関連性の公理に反するやり取りが抜けていたとすると、「そこに描いてあるのはなんですか?」「雀だ。」というごく普通の会話になるわけです。関連性の公理を守っていればなんの引っかかりも不思議もない、ごくわかりやすい会話になりますが、それではおもしろさに欠けます。このような会話の技法は、落語に限らず多くの人々が日常的に使っていると思われます。スピーチやプレゼンテーションなどでも、人々の注意を引くような突拍子もない一言から、少し回り道してしっかりと重要なポイントに戻ってくるなどの工夫がされることがあります。とても有効な話し方ですね。
協調の原理「様態の公理」
最後に「様態の公理」とは、簡潔にわかりやすく順序立てて話すという会話のルールです。あるできごとを、事が起きた順番に話すということが一般的には期待されているので、期待されている順序に話すと最も相手に伝わりやすいでしょう。あわて者やそそっかしい人が数多く登場する落語では、できごとを逆さから、もしくは支離滅裂に説明する場面などがよくあります。第27回で「量の公理」の例として挙げた「粗忽の釘(宿替え)」の前半では、あわて者が事情を説明するのに順序が逆さまであるために、なかなか話が伝わらない、という場面がありました。つまりこの場面は量の公理と様態の公理の両方に反しているのです。
粗忽長屋
「粗忽長屋」という噺では、そそっかしい男が行き倒れの男を見て自分の親友だと勘違いします。これは大変、と慌てて親友本人にこのことを伝えに走っていきます。この段階ですでに様子がおかしいことが伝わってくるのですが・・・。
「おーい、大変だ!」
「なんだい、あわてて。」
「おお、家にいたのか。よかった!」
「顔色悪いぞ、どうしたんだ。」
「お前みたいなそそっかしいやつはいないぞ! 俺はもう親友として恥ずかしい。」
「そうかい? それは悪かったな。何かあったのかい?」
「聞いておどろくなよ。まあ、落ち着け。いいか。よく聞けよ。お前は・・・、死んだんだ!」
「ええーっ!?」
「自分でわからないのか?」
「全然死んだ気がしないんだよ。俺はどうやって死んだんだ?」
「行き倒れだよ。」
「覚えがねえ!」
「とにかく死体を引き取りに行こう。」
「きまりが悪いよ。それは気まずいって。」
「自分のことは自分で始末つけないと。」
「そうかなあ。」
話の順序が狂うと普通は混乱するものですが、この落語の場合は二人ともそそっかしいので妙に会話がスムースになってしまっている、という部分がさらにおもしろいところです。この他にも「大変だ! 医者飲んで薬呼んでこい!」「なんだよ、あわてないで落ち着いて順序よく話しな。」のように始まる粗忽者の噺はいくつもあります。話を結論から話すことによって、これから何が始まるのだろうという期待を持たせることができます。会話のルールを破るということは、普通ではない何かが始まるということを匂わせるのです。
ここまで4つの会話の公理を紹介しましたが、いずれの場合においても「協調の原理」をわざと破る故意の違反は会話の上でインパクトを与え、ただの普通の会話におもしろさを加えてくれます。「協調の原理」を意識しながら漫才や落語を見たり、普段の会話を注意深く観察してみても、おもしろいと思います!
大島希巳江
おおしま・きみえ
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。
1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。
著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。
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