大島希巳江
神奈川大学外国語学部国際文化交流学科教授,「NEW CROWN」編集委員
2019年05月24日
ここまで,英語の脱英米,オリジナルの新英語,世界の英語の再構成,などについて述べてきましたが,どのくらいまでを英語として許容できるものなのか,という疑問についても考えずにはいられません。私自身,なんでもかんでもオッケーのブロークン・イングリッシュがいい,とは思いません。では,どこまでが許容範囲なのでしょうか。特に重要なポイントは,話し言葉にしても書き言葉にしても,その英語で「意思の伝達が可能である」ことです。たとえ補足的な説明が必要な英語表現を使ったとしても,「説明が可能である」もしくは「説明する英語力がある」ことが必須であると思います。
ナイジェリア出身の作家であり,ブラウン大学(アメリカ合衆国)の教授であったチヌア・アチベ(1930-2013)はこう言っています。
So my answer to the question: Can an African ever learn English well enough to be able to use it effectively in creative writing?”, is certainly yes. If on the other hand you ask: Can he ever learn to use it like a native speaker? I should say, I hope not. It is neither necessary nor desirable for him to be able to do so. (Achebe, 1993 [1975])
(「アフリカ人は創造的な文章を執筆できるほどの英語力を身に付けることができるか。」という質問に対して,私はもちろんイエス,と答える。一方,「アフリカ人はネイティブ・スピーカーのように英語を使う力を身に付けることができるか。」と聞かれたら,私はこう答えるべきだろう。「そうであってほしくない」と。そのような能力は必要ではないし,できるようになりたいとも思っていないのだから。)
チヌア・アチベの著書 Things Fall Apart(『崩れゆく絆』)は,20世紀の名作の一つとされています。50か国語に翻訳され,世界で1,200万部以上販売されたベストセラーです。もちろん翻訳されてしまえば,彼の英語の特徴は消えてしまうわけですが,オリジナルの英語の作品には,アフリカ固有の現実を表現するべく,イボ語の語彙やことわざを多く取り入れ,口承文学の伝統を巧みに織り込んだ英語が特徴であるとされています。
上記の彼の言葉にはパワーと説得力があり,彼自身の英語に対する自信が垣間見られます。自分の英語で伝えたいことは伝えられる。伝わらなかったら,読者に想像力を使ってもらう。行間を読んでもらう。場合によっては解釈が異なってもいいと思っているかもしれません。彼の自信は彼の英語に対するものだけではなく,伝えるべき内容に自信があるのだと言えるでしょう。伝える価値のあることを書いたり話したりしていれば,相手が一生懸命理解しようとしてくれるものです。そこに頼りすぎるのもよくないのですが,まずはやはり英語で伝えるべきメッセージがあることが大事です。そうすれば,英語はある意味「ツール」として使われます。つまり,ツール(道具)ですから,目的や使い手によって形や機能が異なるべき,と考えることができます。英語というツールには様々な形があり,それぞれの方法で「意思の疎通」という目的を果たすのでしょう。
シンプルだけど自分らしい英語
一方で『ことばと文化』(岩波新書)などでよく知られている言語社会学者の鈴木孝夫は,国際共通語としての英語は可能な限り中性的でニュートラルな英語を目指すべき,と提案しています。中性的でニュートラル,をどう解釈するかですが,以前このコラムでも紹介した,どこの地域の色もついていない,最もシンプルな英語「プレーン・イングリッシュ」に近いものではないでしょうか。さらに鈴木孝夫もまた,チヌア・アチベと同様のことを1975年の著書の中で言っています。「イギリス固有の発想と独特のイディオム,発音を持ったものである必要はないし,アメリカのそれである必要もない。それどころか,むしろそうでないことが望ましいとさえ言える。」(『閉ざされた言語・日本語の世界』新潮社1975:220)
シンプルでありながら,借り物の英語ではなく自分の英語を使えることが望ましい,ということではないでしょうか。もちろんオリジナル(ネイティブ)の英語に多少ひっぱられることは当然だと思います。また,どこからどこまでが英語と呼べる範囲で,どこまで個性的になると英語の範疇ではなくなってしまうのか,非常に線引きが難しいです。スシに例えて考えてみると,まぐろのにぎりがオリジナルのスシです。カリフォルニアロールや天ぷらを巻いたスシ,アボガドを周りに巻いたキャタピラーくらいまではスシと呼べる範囲ではないでしょうか。ピザをのせたにぎりになると,少し微妙なラインかもしれません。でもライスを使っている限りはスシの一種とするべきでしょうか?
そもそも日本国内でさえ,寿司と呼べるものの範疇は変わってきているそうです。昔は,鮭は寿司には使われなかったそうです。その習慣が残っているのか,日本のお寿司屋さんでも「鮭」よりも「サーモン」という表示のほうが多い気がします。私の父親は,「サーモンのにぎり そんなもの聞いたことない。そんなの寿司じゃない」と言って,決して食べませんでした。(まあ,カリフォルニアロールは食べていましたが…。)サーモンのにぎりを寿司とは思っていなかったのかもしれません。
オリジナルとのバランスをとる
話がすこし逸れましたが,そもそも,どんなに上手に書かれていても(話されていても),書き手や話し手という発信者と,読み手や聞き手という受信者にはどうしてもギャップが生じるものです。そのギャップはそれぞれの受信者の解釈でよい,としなければ気にしてもキリがありません。多くの名作といわれる文学においても,様々な解釈があってそれを楽しむということができているはずです。その解釈の幅が広いか狭いかの違いで,マニュアルやインストラクションのような文書であれば,解釈の幅はよほど狭くなければ困りますが,解釈の幅が広い文章というのもとても面白いものです。どのくらいのギャップならある程度理解可能な解釈の幅に収まるのか,バランスの問題ではないでしょうか。
物事のバランスをとるのには時間を要すると思います。たとえば,右に傾いているものを真ん中でバランスをとろうとしても,最初は行き過ぎて左に傾いてしまうことがあります。そのあとに真ん中に持ってこようとしても,今度は右に傾いてしまいますが,それを繰り返しながら少しずつバランスがとれるように努力した結果,最終的になんとなくフラフラしながら真ん中あたりに落ち着くのでしょう。
ある落語家の経験を思い出しました。その人は,最初はおとなしく,師匠に教わったとおりの古典落語を演じていたそうです。いつもはかけているメガネも,高座でははずしていました。しかし,あるとき古典的な古典落語ばかりではつまらない,そもそもなぜ着物にこだわる必要があるのか,と伝統やしきたりに挑もうとしたのです。タブーと言われていたメガネをかけ,ジーパンにTシャツで高座にあがり,現代的な言葉づかいで新作落語を演じました。つまり,右に大きく傾いていたものを,極端に大きく左に寄せてみたのです。
しばらくはそれでよかったようですが,やがて衣装は着物に戻り,古典落語も演じるようになりました。やはり着物のほうがなにかと都合がいいそうです。メガネはそのままかけることにし,新作も精力的に演じますが,古典落語を現代的な言葉づかいで演じる,というバランスをとることで人気を博している,そう,あの落語家です。彼が言うには「色々やりすぎて失敗したって言われればそうだろうけど,色々極端なことやってみないとわからないってことがたくさんあるんだよ。そうやって,やっとちょうどいいバランスを見つけるんだから」
日本の英語も世界の英語も,ちょうどいいバランスを見つけようと,いまちょうどフラフラ,ウロウロしているところなのではないでしょうか。解釈の幅を楽しみつつ,「ちょうどいいところ」が見つかる日は遠くないと思います。
Achebe, Chinua (1993 [1975]). “The African writer and the English language,” in Morning Yet on Creation Day: Essays (London: Heinemann Educational).
大島希巳江
おおしま・きみえ
神奈川大学外国語学部国際文化交流学科教授,「NEW CROWN」編集委員
教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。
1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。
著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。
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