大島希巳江
神奈川大学外国語学部国際文化交流学科教授,「NEW CROWN」編集委員
2017年10月18日
私たちの価値観や考え方は言語に表れます。そして、時としてそれらの価値観や考え方がほかの言語にはないために、翻訳しきれないことがあります。たとえば、「顔」の使い方です。「~に顔向けができない」「~に合わせる顔がない」「顔色をうかがう」「顔が利く」「顔を出す」などの表現がありますが、従来faceということばを使わずに訳されてきました。
He knows a lot of people in this business. (彼はこの業界で顔が広い。) He has many political connections. (彼は政界に顔が利く。) |
しかし、この「顔」の概念は日本以外のアジア圏にもあるため、多くのアジア人が英語でも使うようになったことで、英語圏でもよく知られるようになりました。いまでは、英語としてほとんど問題なく通用するようになりました。アメリカ人の知人に聞いてみたところ、「もともと英語ではないという感覚はある。でも、大体の人がどういう意味かは想像できる。ちょっと教養のある人なら、アジアからきたコンセプトから生まれた英語だと知っている。アメリカでもpositive face, negative faceという概念が話題になった70年代にはもう使われていた」と話してくれました。
I can’t go back to Japan like this. I’m faceless. (こんなのでは日本に帰れないよ。合わせる顔がない。) I lost a lot of faces. (本当に顔向けができないよ。) I will just show my face to the party tomorrow. (明日のパーティにちょっと顔出してくるよ。) You saved my face by accepting the offer. (あなたが申し出を引き受けてくれたので私の顔が立った。) |
このような例はこれ以外にいくつもあります。身近なもので言うと「おじいさん」と「おばあさん」もそうですね。英語では他人の年配者をold man(男性の年配者)、old woman(女性の年配者)と呼びますが、多くのアジア言語では、赤の他人であっても年配の方のことを「おじいさん」「おばあさん」と言った呼び方をします。そのため、アジア人の英語では他人であってもgrandpaそしてgrandmaを使うことがあります。日本でも感覚としてはそのほうがしっくりくるのではないかと思い、大学で調査してみました。おじいさんとおばあさんの写真を用意して、英語でなんと呼ぶかを聞いたところ、おおよそ70%の学生がgrandpa、grandmaと回答しました。old man、old womanのほうが正しいと認識している学生も多く、さまざまな議論が交わされました。
さて、これはどのように考えたらよいでしょうか。お店のおばさん、近所のおじさん、のような「家族呼称」を使う理由の一つとして、お店の女性、近所の男性と呼ぶより距離が近くなり、なんとなく安心感が出るということがあります。英語であれば、woman at the store, man in the neighborhoodとなりますが、様々なアジア英語が定着しつつある今日この頃、grandpaとgrandmaもfaceのように、英語として市民権を得ることになるかもしれません。
モノやことばが普及するということ
国際言語としての英語がEnglish as a multicultural languageと言われるように、英語は一つの言語でありながら、多くの文化を表現することのできる言語へと発展しています。ですので、少なくとも英語でなら日本文化も日本人らしさもある程度表現できるはずです(もちろん完璧ではないにしても)。
たとえば、ごく単純なものの言い方として、日本人英語話者の多くの人はThat restaurant is delicious.(あのお店はおいしい)というような言い方をします。英語圏の人々にはヘンに聞こえるでしょう。レストランは食べられないからです。英語圏ではThe food is delicious at that restaurant.と言うでしょう。それならばThat restaurant is delicious.は間違いなのかというと、これも考え方一つです。聞きなれない表現なので間違っているように聞こえますが、実は似たような表現はもともと英語にもあります。
She is sharp.(彼女は鋭い) |
頭がいい、という意味です。彼女の頭は鋭く切れる、ということですが、彼女という人間が切れるということではありません。聞きなれた表現なので、英語話者は皆、これを 「彼女は頭がいい」と理解しますが、そうでなければThat restaurant is delicious.と同じくらいヘンな表現です。日本語でも賢いことを「頭が切れる」と言いますね。つまり、She is sharpが間違いでないのなら、That restaurant is delicious.も間違いではないはず、ということです。英語話者にとって聞きなれないほうは間違いに聞こえるのですが、やがて慣れれば間違いではなくなる、ということなのです。
言語にしても食べ物にしてもモノにしても、何かが世界に普及するということは変化するということです。変化は普及するときの絶対的な条件なのです。スシが世界に普及するためには、カリフォルニアロールやエビ天ぷら巻きやピザ軍艦がなければならなかったし、インドで人気のマクドナルドはハンバーガーにビーフを一切使わず、マトンバーガーを販売しています。脱オリジナルをし、再文化化のプロセスを経て、やっと国際化し世界中の人々に受け入れられるようになるのです。英語はすでに多くの世界で脱オリジナル、そして再構成のプロセスを経てきています。 日本でも英語の脱オリジナル、日本文化や日本語との融合・再構成をすすめてみると英語も楽しくなるのではないでしょうか。
(掲載:2017年10月18日)
大島希巳江
おおしま・きみえ
神奈川大学外国語学部国際文化交流学科教授,「NEW CROWN」編集委員
教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。
1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。
著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。
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