永田 紅 歌人
2019年09月26日
夫は小学生のとき,担任の先生から「ダジャレは国語の敵だ」と教えられ,何十年も真面目にそう思い込んできたそうだ。私は,「ダジャレを含む言葉あそびは日本語の粋だ」と思っているので,これを聞いたとき,なんという刷り込みをするんだ,と憤慨した。
周囲を疲れさせるのは困ったものだが,本来ダジャレは,クスッと笑って流す,その軽さとウイットを楽しむ遊び。語呂合わせ,回文,アナグラム,折句も面白い。「いい国作ろう鎌倉幕府」「水兵リーベ僕の船」などは有名どころだが,「いろは歌」を七文字ごとに区切ると「咎なくて死す」が浮かび上がるのにはぞっとしたし,同じ文字列を二回繰り返す「完全ダジャレ」なるものを知ったときは笑った。ネット上には,誰の作か「ですます口調で済ます区長」「内臓脂肪ない象死亡」といった傑作が並ぶ。
私たち研究者にとって,日本学術振興会(学振)への科学研究費(科研費)の毎年の応募は頭の痛い作業だが,最近,
学振が苦心,科研費書けん日,と言葉に遊ぶを息抜きとして 『春の顕微鏡』
なんて歌を作った。せめてもの息抜き。
なぜ言葉あそびが好きか。ただ面白いからである。周囲を観察していると,一緒に面白がってくれる人と,全く興味を示さない人とに二分される。先日,大学の研究室の同僚に「オクラって英語だって知ってた?」(実は,私は最近知った)と聞くと,即座に「イクラってロシア語って知ってた?」と返された。こういう反応,好きだ。言葉の反射神経が心地よい。
いくつかの短歌コンクールの審査に携わっている。中高生の短歌を読むのは楽しく,十代のときにしか掴めない実感のある言葉に出会うと,眩しく思う。一方で,いつもある危機感を覚える。とくに「青春」や「スポーツ」というテーマで短歌の宿題を出されたとき,あまりにも類型的な語や慣用表現が多いのだ。かならず「汗,涙」がキラキラと流れ,「友情」は固く,「努力は裏切らず」,「笑顔の花が咲き」,「感動」で締めくくられる。馴染みのない短歌というものを作るとき,何か格好のいい既存の言葉でまとめなければいけない,と身構えてしまうのも当然ではある。
「感動」という言葉を使わずに,いかに感動を表現するか。「嬉しい,悲しい」という形容詞に頼らず,どうやって感情の微妙な襞に分け入るか。感情の周辺の具体的な細部(教室に漂うチョークの粉の様子,教科書の手触り,木や草花の佇まい,音や匂い)を少し導入するだけで,一首は格段にいきいきする。言語表現に慣れていない人は,内面に乏しいわけではなく,具体的な表現法を知らないにすぎない。しかしまた,表現技術をもたないということは,自身の心にアクセスする機会を失っているということ。あれこれ言葉を操ってみることで,人は自己の複雑さを知り,内面を開拓する。
結局,よく言われる「自分の言葉で」がいちばん難しいのだが,まずは「まじでヤバい」を,遊び感覚で他の言葉に言い換えて過ごしてみるのも,面白いかもしれない。
(『ことばの学び』No.10 2019年9月発行より転載)
永田 紅 ながた・こう 歌人
歌人,京都大学特任助教(細胞生物学)。
十二歳で短歌を作り始める。歌集に『日輪』(砂子屋書房)『春の顕微鏡』(青磁社)など四冊,エッセイ集に共著『家族の歌』(文藝春秋)。歌壇賞,現代歌人協会賞など受賞。
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