三省堂のWebコラム

ことば×思考×学び

ただ吐き出した言葉じゃなしに

伊沢 拓司

2025年08月06日

ビートルズの『イン・マイ・ライフ』が流れた。大阪のタクシーは東京に比べるとだいぶ自由だ。おそらくは運転手さん自選のオリジナルCDなのだろう、さっきまでは知らないジャズがかかっていたから。夜の街明かりに、柔らかなバラードがぴったりだった。

 

はじめて会った運転手さんとふたり、このムードを楽しんでいる。無言の空間、なんの合意もない。それでも、素敵な空気を共有している気がした。ここでこの曲を流すなんて、素晴らしいこだわりじゃないか。

 

シェアすることは楽しい。相手と通じ合う安心感と優越感は唯一無二だろう。とはいえ、良き時に良き曲がかかるような偶然は稀だから、我々の共感の多くは言葉で作られる。何かを伝えるのも、理解するのも、たいていは言葉を通してである。

 

それでも、忘れてはいけない。伝えたいのはあくまで意思であって、言葉そのものではない、ということを。言葉はあくまで、意思を伝える道具に過ぎない。

 

言葉ばかり並べても意思が伝わらないことはままある。あるコピーライティングの賞で審査員をしたときのこと。「こんな時代に暗記がしたくなるコピー」を募集した。インターネットの発達した現代にあって暗記の意義とは何だ、というテーマである。たくさんの佳作と、それ以上に大量の凡作が集まった。全体の9割は即決でボツにしたのだが、それらの多くには共通点があった。

 

自分の言葉に、甘いのだ。

 

教養、天才、バカ、AI……知識を語る上での頻出の、でも意味するところが曖昧な単語たち。そういった言葉を自分の了見だけで雑に扱った作品が、山ほどあった。「暗記は教養にはならないが武器にはなる」「AIに負けない自分へ」。なぜ教養と暗記は別のものなんだ? なぜAIは戦いの対象なんだ?

 

自分の思った通りの意味で相手に伝わるという甘い考えが、言葉の空回りを生んでいた。

 

同じ言葉を聞いても、イメージするものは人それぞれだ。辞書的な意味とは別に、感じ方が分かれる言葉はいくつもある。それを自覚して扱わないと、伝えたい意思を届けてはくれない。言葉に対する考え方の違いに無頓着なままでは、伝えた「つもり」に過ぎないのだ。

 

言葉を吐き出すのは簡単だが、言葉で伝えるのは難しい。ひとつひとつの言葉に、相手の感じ方に、実直な眼差しを向けること。その先にこそ、共有の喜びはある。

 

「イン・マイ・ライフ、ぴったりの選曲ですね」と運転手さんに告げた。キョトンとした顔。「あ、これ、お客さんからもらったCDで」。何かを共有することは、やはりとても難しい。

 

(『ことばの学び』No.19 2024年1月発行より転載)

プロフィール

伊沢 拓司    いざわ・たくし

1994年生まれ。東京大学経済学部卒業。2016年に東大発の知識集団・QuizKnockを立ち上げ、現在YouTubeチャンネルは登録者数210万人を突破。(*2024年1月現在)

『東大王』などのテレビ番組にレギュラー出演するほか、学校訪問プロジェクト「QK GO」を行うなど、幅広く活動中。

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