大島希巳江
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
2025年07月24日
国際交流基金のお仕事で、トルコとハンガリーへ行ってきました。2024年はトルコと日本にとって国交100年目の記念すべき年でした。「日トルコ外交関係樹立100周年記念事業(Japan Turkey 100th Anniversary of Diplomatic Relations)」の一環で、人的交流や異文化交流におけるユーモアの役割に焦点を当てた笑いの魅力について、両国での対談企画が行われ、日本の落語とトルコの伝統芸能であるメッダーフルックをそれぞれ演じ、違いや共通点について話し合ってきました。トルコは何度か訪れたことがありますが、とにかく親日家が多く過ごしやすい所です。日本語を話せるトルコ人は、とても上手に流暢に話します。発音もスムースですし、語学力が高いという印象を受けます。おしゃべりが好きな人は、言語習得がスムースである傾向がありますが、それとも関係があるのかもしれません。
お茶とおしゃべり
トルコの人は全体的におしゃべりが好きなのだそうです。確かに、道端にイスとテーブルを出して、お茶を飲みながらおしゃべりしている人々をたくさん見かけました。このお茶も、本当によく出されます。食事の前後、おやつと共に、もしくはなんでもない時に、突然お茶がどこからともなく出てきます。英語落語会の劇場で会場設置をしている最中でも、誰かがお盆にお茶を乗せて20人分くらい舞台に持ってきます。そしてスタッフ全員に配り始めるのです。そうなると、もうお茶とおしゃべりタイムが始まってしまうので、手は止まり仕事は進まなくなります。トルコでのスケジュールはいつも、どこに行くにも何をするにも集合時間がずいぶん早いな、とは思っていたのです。きっと前もってしっかり準備したいのだな、慎重だな、と思っていたのですが、どうもそうではなさそうでした。お茶を飲み飲み、休み休み、しゃべりしゃべり準備するので、何時間もかかることを見越しての集合時間だったようです。
トルコに長年滞在し、トルコ文化と言語に精通されている方が、「トルコ人には、頼まれたことや自分のやるべき仕事は必ず果たすという誠実さがある。ただし、約束の時間にはまず間に合わないと思っていたほうがいい」とおっしゃっていました。このお言葉、かなり的を射ているとつくづく思いました。
トルコの通訳者が2倍くらいしゃべる謎
落語公演の後、トルコの伝統芸能演者や研究者の皆さんと対談をするという企画がありました。大変に興味深く、楽しかったのですが、観客の皆さんにより楽しんでいただくため、トルコ語の通訳をつけての対談でした。この通訳のおばさまたちが、とても陽気で楽しくて素敵なのですが…、通訳が長いのです。私はトルコ語が全くわからないので、何を話しているのか理解できないのですが、とにかく私の2倍くらいしゃべるのです。「長いな…まだしゃべってる…通訳なのに? そんな複雑なこと言ってないのになあ。あれ? お客さんが笑っている!? いや、今のコメントに笑うとこなかった! なぜ!? いや、まだしゃべるんかーい!」と何度思ったことか。待ち時間が長く、何をしゃべってくれているのかもわからず、居心地の悪い笑顔をたたえて過ごしました。確かに、トルコの文化コンテキストにないような内容が私の話の中にあれば、多少説明を施しながら通訳をしてくださる、ということは大いにあり得ます。とはいえ、それにしても長すぎました。公演時間もかなり押していて、私が長くしゃべると通訳さんがさらにその2倍しゃべるので、どんどん時間が遅くなってしまう、と気にしすぎて私は言いたいことも言えず、なんでもかなり簡潔にしゃべってしまうという妙な構図に。それでも、意気揚々と笑顔でしゃべり倒す通訳のおばさまたち。結果、どの会場でも公演会は1時間も終了時間が延びてしまいました。日本では会場の制約もあり、あり得ないことです。でも、トルコでは会場もOK、お客さんもOK、みんな平気なのです。おしゃべりで遅くなるのは普通なのでした。
それにしても、なぜ通訳がそんなに長引くのか。なんだか楽しそうだし、どうしても気になって聞いてみました。すると、どうやら彼女たちは自分たちの感想や気がついたことなどをどんどん足して話しているようでした。「感想? 通訳なのに?」と思いましたが、よく聞いてみると漫才で言うところのツッコミに近いものなのかもしれない、と思いました。例えば、単純に自己紹介の場面でも、対談なので壇上には他の人も4人くらいいますので、簡単に話そうと私は意識します。「大島希巳江です。日本でユーモアとコミュニケーションの研究をしています。今日はトルコのユーモアについてお話を伺えるのを楽しみにしてきました」くらいに抑えます。これがどう通訳されているかというと、「大島希巳江です。日本から来ました。そうよ、日本からはるばるいらしたのよ。何時間も飛行機に乗って。ありがたいことよね」(だからここでちょっと拍手が入ります。自己紹介の部分の通訳がちょうど終わったのかな、と思うタイミング。しかしここからまた延々と続きます。)「それでユーモアとコミュニケーションの研究をしていて、さらに落語も演じるなんて、素敵よね!この着物見てちょうだい、色が素晴らしいでしょう。さっき希巳江さんとちょっと話したのだけど、この着物はお婆さまからもらった古いものなのですって。伝統を受け継いでいるのよね、とてもいいことだと思うわ。落語はこのような着物を着て演じるものなのです。そして今日はこれからトルコの…」と、いろんな豆知識を盛り込んでの通訳、それは確かに長くなりますよね。完全に通訳以上の仕事をしています。さらに、話を2度3度くり返して話しているようです。普段のコミュニケーションでも、くり返しながら話すことは多いようですが、これが通訳となると、確実に観客に伝わるように、さらにくり返しの配慮がされているのだそうです。全ての通訳者がこのようなやり方をしているとは限りませんが、今回のトルコでお会いした5名ほどの通訳の方々には共通した特徴でした。
しかし一方で、文化や社会の背景を一切無かったことにして、それらの要素を完全に省いて通訳したり翻訳したりすることは、なかなか難しいことだと思います。もちろん、だからこそ専門家が存在するのだと思いますが。私自身も、考えてみたら無駄なく通訳しなければならないとしたら、苦戦するタイプですね。観客側の背景を知っていれば知っているほど、「この言葉をただ訳すだけでは真意が伝わらないのではないか」「言葉ではこう言っているけれどニュアンスとしてはこっちなのよね」とか、「日本ではこういう言い方をしますが、この諺にはこういう意味があって…」とか、言いたくなってしまいます。日本では伝統的にこうである、という一言でさえ、伝統ってどのくらいの年月なのか、1000年なのか200年なのか、相手の国によっては見当もつかないわけですから、つい言い足したくなります。上手にバランスよく通訳するのがプロの仕事なのだと思います。どのくらいのバランスがちょうどよいのか、それはまた文化圏によって異なると考えると、トルコの通訳の方々は、トルコ文化圏における常識の範疇で仕事をしてくれたのであろう、と考えられます。何せ、通訳の話が長い…と感じたのは日本から行った日本人だけなのですから。観客の皆さんは大いに喜んでおられました。これもまた異文化の面白いところです。
大島希巳江
おおしま・きみえ
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CRO
教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。
1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。
著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。
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