大島希巳江
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
2025年06月27日
そもそも、どういったことをウソと呼ぶのか、その定義さえも言語や文化によって異なります。何がウソなのか、どこからどこまでがウソなのか。これはなかなか難しい問いだと思います。
ベストアンサーが間違っていたら「ウソ」になるのか?
私自身も何度か経験しましたし、何人かの人からも聞いたことのあるエピソードがあります。それはインドやパキスタンなどの南アジアを旅していると、もしかしてウソをつかれた(?)と感じることが時々ある、ということです。ちょっと道に迷って、地元の人らしい人に聞くと、とんでもなく間違った方向を教えられ、あとでとても困った、という話が多い気がします。ある場所へ行くのにどのバスに乗ったらいいか、この店に行きたいのだけど商店街のどの辺りなのか、など。しかも、教えてくれる時はとても一生懸命に丁寧に教えてくれるので、それが間違った情報であるとは考えにくいのです。でも、結果的に行きたいところへは辿り着けない…。この経験には私も何度か困ったことがあるので、インドで日本語が堪能な通訳の方に聞いてみたことがあります。すると、インド人は相手の質問に対して「知らない、わからない」と言ってなんの努力もせず、一つの情報も与えず、突き放すことを失礼なことであると考える傾向があるのだそうです。そこで、たとえ答えを知らなくても、知っている限りの情報を(勘や雰囲気も含めて)ベストを尽くして教えてくれるのです。それで、結果的に間違っていることも多々ある、ということですね。これをウソと呼んでいいのかどうか、微妙なところだと思います。少なくとも、頑張ってくれたわけです。答えを知らない質問に対して、間違っているかもしれないが、自分の中のベストアンサーを出すことはウソをついていることになるのでしょうか? 日本でも試験中にわからない問題が出たとしたら、多分ちょっと間違っているだろう、と思いつつ、自分が知っているほんの少しの情報をもとに一生懸命できる限りのベストアンサーを書いたりします。この場合、答えは間違っていたとしても、ウソをついた、とは言えないですよね。少し話は飛躍しましたが、ベストを尽くす、ということが結果として正しい答えに導かれなかった場合、それを「ウソ」とはしない文化圏があるということではないでしょうか。日本人同士であれば、知らないのなら知らないと言ってくれた方が親切だ、と思うかもしれません。もしくは、正確にはわからないけれど、このような方向ではないかと思う、ただし他の人に聞いて確認してください、くらいの丁寧な答え方をするかもしれませんね。しかし異文化コミュニケーションにおいては、「これがもし日本だったら…」と考え続けることには意味がありません。適応することです。常にセカンドオピニオンを得るようにしましょう。
サイズダウンでプライスアップ ―パキスタンにて
パキスタンでは、こんなことがありました。きれいなピンク色の岩塩を売っている露店で買い物をしようとした時です。パキスタンは岩塩が有名ですから、ぜひお土産にいくつか買おうと思ったのですが、その値段の付け方があまりに適当で笑ってしまいました。「1つ100ルピー」(正確な値段は忘れてしまいました)。天然の岩塩ですから、岩から削り取った石ころのようなもので、どれもサイズも形もバラバラのままです。その店員さんは10代後半くらいの純朴そうな青年でした。「重さや大きさは関係ないの?」と一応聞きましたが、「はい、1つ100ルピーです」と答えるのです。「じゃあ、大きいものを買ったほうが得だよね?」と聞くと「はい、そうです」とのことでしたので、私は自分で持てるものの中で最大のものを選んで、「これください」と言ったら、本当に「はい、100ルピーです」と言うのです。なんだか申し訳ないなと思いながら、ふと、これは一人で持って帰るには大きすぎると気がつきました。一緒にいた落語家さんに声をかけて、「これ半分持っていかない?私が買うから」と、お誘いしました。了承を取り付けたところで、その店員さんに「これ、大きすぎるから二つに割ってくれる?」と頼みました。彼の手には岩塩を砕くためのハンマーがあったのです。ここまで言ってハッとしたのですが、時すでに遅し。店員さんはカツーンと私の岩塩を二つに割って「はい、200ルピーです」とおっしゃいました。その瞬間みんなで大笑いしました。お店の彼もなんとなく一緒に笑っていました。結局200ルピー払いました。200ルピーって当時でも300円くらいでしたから、そもそも全く損はありません。ピンク岩塩って日本では結構な高級品ですから!
落語に出てきそうな話で、お気に入りの体験です。このような出来事、東南アジアやアフリカなどでもよくあります。これをだまされたとかウソをつかれた、と捉えることもできますが、そうなのでしょうか?
笑顔の挨拶が誤解を招く? ―ドイツにて
逆に、日本人である私がウソつきであるかのように思わされた経験もあります。ドイツのベルリンに2週間ほど滞在した時のことです。毎朝6時半頃にジョギングに出掛けていたのですが、ホテルのフロントには毎朝同じ若い女性がいました。私は必ず最上級の笑顔で“Good morning!”と声をかけていました。朝早いからこそ、元気に機嫌よく挨拶していたわけです。しかし、彼女は一度たりとも微笑みすらしなかったのです。必ず真顔で“Guten Morgen”(おはようございます)と挨拶はしてくれますが、一切口角を上げることもなく、眉毛を動かすこともありませんでした。結局2週間の間、一度も笑顔を見せてくれませんでした。これは私の笑顔セオリーに反するものです。笑顔を向けられたら、思わず自分も笑顔になってしまう、という現象は多くの人に当てはまります。このフロントの女性以外は…。最後の日にさすがに彼女に聞きました。なぜ一度も笑顔を返してくれなかったのか、と。すると彼女は真顔で「私には笑う理由が一つもなかった。朝早いシフトにずっと入れられていて、眠いし疲れているし、今この場にいたいとも思っていない。特に面白いことが起きているわけではないので、笑いたいとは思わなかった」と淡々とおっしゃっていました。私を毎朝見て、この人は朝から楽しそうだな、とは思ったが、自分の感情には全く関係ないので、自分が笑うことにはつながらなかったそうです。
このことについて、ドイツ人の友人でユーモア研究をしており、日本にも長く滞在していたティム・ワインガートナーさんに聞いてみました。彼によると、ドイツ人は「恐ろしく正直なのです」とのこと。“dead honest”(死ぬほど正直)という表現を使っていました。腹が立てばはっきりそう言って怒るし、面白ければ笑うし、面白くなければ絶対に笑わないのだそうです。そういう意味で自分の感情に対して絶対に「ウソをつかない」民族性を持っている、ということでした。そのため、ドイツ人から見ると日本人の愛想笑いはウソっぽい、と感じるのだそうです。フロントの女性の視点では、私は朝早くからなんの理由もないウソっぽい笑顔を見せつけていたわけですね。何をヘラヘラしているのか、ちょっと気持ち悪い、くらいに思うそうです。なるほど。確かにベルリンではレストランでも美術館でも、働いている人たちはとても無愛想でした。サービス業なのに?とは思いましたが…、逆にいいこともあります。ティムさんも自慢げに言っていましたが、「ドイツでは絶対にボッタクリにはあわないでしょう?」確かにその通り。一切特別なサービスはしてくれませんが、どのタクシーもきちんと掃除の行き届いたベンツで料金もメーター通り、レストランでも笑顔もちょっとした会話も全くありませんが、同時にチップも受け取りません。
以前ブルガリア人の友人が「アメリカ人ってなぜ誰彼構わず、赤の他人なのにすぐに“How are you?”って聞くのかしらね。スーパーでもレストランでも、私の気分なんて絶対にどうでもいいと思っているはずなのに、いつも聞いてくるの。嘘っぽくてイライラするわ」と、言っていたのを思い出しました。彼女は愛想、というウソが嫌いなのです。ドイツやブルガリアの基準で見たら、愛想の良い日本人は相当な嘘つきになるのでしょうね。でも、悪意がないウソだからちょっと気持ち悪いけど、それほど嫌がられてはいない…、というのが私の印象です。
赤の他人に笑顔で挨拶することで、「私はあなたの敵ではない、悪い人間ではないので安心してください」というメッセージを発信していると思うのですが、そもそも全員が正直で、悪い人が少ない社会ではその必要がないのかもしれません。では、ドイツでは悪人は正直にすごく悪い顔をして歩き回っているのでしょうか。もしくは、悪人は嘘つきだから笑顔で歩き回っているのかもしれません。だから逆に無駄に笑顔を振りまく人は警戒されるのかも? なかなか見極めがつかなそうです。今度、ティムさんに聞いてみます。
今回のエピソードに「盛り」はありません。
大島希巳江
おおしま・きみえ
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。
1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。
著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。
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