大島希巳江
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
2024年12月02日
人が会話を心地よくするためには、お互いにある程度ルールを守っていなければなりません。社会性のある人間であれば、誰もがよりスムースに会話をするために協調性を持って会話を進めます。もちろん、文化的習慣が異なればコミュニケーションのルールも異なるわけですが、やはりある程度共通の部分もあります。
例えば、「あいさつにはあいさつを返す」などがそうです。「おはよう」と声をかけられたら「おはよう」と返さなければ、ぎこちない会話になり、ぎこちない関係が生まれます。
「おはよう!」 “Good morning!”
「それはどうかな。」 “Oh, I don’t think so.”
どうにも嫌な感じです。しかし、同時にちょっと面白い感じもします。「なぜそのようなことを言うのかな?」「次はどんなことを言ってくるのかな?と」興味を引くという面もあります。ルールを守らなければ、会話はぎこちなくなりますが、それを逆手にとってユーモラスな会話を作ることもできます。ユーモアの定義でいえば、会話の常識から逸脱することによってユーモラスな状況を作る、ということです。
協調の原則「量の公理」
普段多くの人が守っている会話のルールの一つに「協調の原則」というものがあります。1)量の公理、2)質の公理、3)関連性の公理、4)様態の公理、の4つです。落語や漫才のような会話で構成されているユーモアは、この協調の原則を無理やり破って構成されているものが結構多いなあ、と感じます。今回はまず、1つめの「量の公理」についてお話ししたいと思います。
「量の公理」とは、会話の目的を果たすために適切な量の情報を与えることです。多すぎても少なすぎてもダメです。会話において聞かれている以上のことを答えることも、聞かれていることに満たない答えをすることも、ルール違反になります。
例えば、「明日のパーティー、全員参加できるかどうか聞いてくれた?」という質問に「うん、聞いたよ。」と答えるだけでは不十分です。相手が聞きたがっていることを理解して適切な答えをしなければ、気が利かないとか意地悪されている、と感じます。逆に情報量が必要以上にあっても面倒です。「明日のパーティー、全員参加できるかどうか聞いてくれた?」「うん、齋藤さんは息子さんがいてね、9歳なんだけどスポーツが得意でねー。で、どうしてもその日は試合があるからどうしようかなって言っていたんだけど、ご主人に頼んでなんとかしようかなって言ってて。玉井さんはほら、ああいう性格だから。パーティーってなるとね、神経質だから出てこられないらしくて。それに、佐川さんはピザが好きじゃないから来られないらしいって言うし。好き嫌いって言ってもねぇ? 食べ物だけじゃなくて好き嫌いなんていろいろあるでしょう・・・(笑) ということで、誰が参加するかまだ決まってません。」必要としていない情報が多いと居心地が悪いものです。店の店員や営業担当者が延々と商品の紹介をしてくると不愉快になるのも、この量の公理に反しているからです。
この不愉快さを逆手にとって、量の公理にわざと反して漫才や落語を作る手法はよく見られます。例えば古典落語の「粗忽の釘(宿替え)」には対照的な2つの場面が出てきますが、それが両方とも量の公理を破っていて面白く表現されています。
長屋にある夫婦が引っ越してきましたが、この旦那がかなりのおっちょこちょいです。新居でほうきをかけるための釘を壁に打っていたら、うっかりその釘を打ち込んでしまいます。長屋の薄い壁のことですから、お隣さんへ突き抜けてしまっていたら大変だ、ということで慌てて飛び出し近所の家へ飛び込みました。
「こんにちは!」
「はい、こんにちは。」
「お宅、出てませんかね!?」
「ええ? なんです、藪から棒に・・・。」
「いえ、壁から釘です。」
「・・・なんですか?」
「わたし、この近所に引っ越してきたもので。」
「ああ、そうですか。まあ、何か必要なものがあったら言ってください。」
「実は嫁がほうきをかける釘を打ってくれ、と言うんです。」
「カナヅチですか、貸しましょうか?」
「いえ、カナヅチはもう要りません。」
「釘抜きですか?」
「いえ、それももう手遅れかと・・・。」
「じゃあどうしたんです?」
「嫁があんまりうるさいので、壁に打ち込んでしまいました。お宅の壁にその先が出ていないかと、心配で・・・。」
「ええ? それだったら、お宅のお隣に行ったらどうです? うちは向かいですよ。」
この場面ではうっかり者の話す情報量が十分ではないので、会話がちぐはぐになっている様子が見られます。この後、慌てすぎたことを反省したうっかり者が、今度は隣の家を訪ねていきます。
「こんにちは。」
「はい、こんにちは。」
「立ち話もなんですから、ちょっとお邪魔します。」
「ええ? 勝手に入ってきちゃったよ、この人・・・、どちらさまですか?」
「まあ、まずは落ち着きが肝心ですから。」
「はあ?」
「一服させていただきます。火を拝借できますかな。」
「あのー、どういう御用件でしょう?」
「ではそろそろお話しさせてもらいますがね。お宅、奥さんおられますか?」
「ええ、おりますが。」
「うちにも一人おります。若い頃はまあ、まだちょっといい女だったんですけどね、質屋の一人娘でねえ。わたしの仕事帰りによーくこっち見て赤くなったりなんかして、もう・・・、で、まあ近所の熊さんが紹介しようか?なんてことを言ってくれたりなんかしてたんだが、ほら、わたしもこんなだから、人様の手を借りるよりは自分で・・・ってなことで・・・」
「なんの話ですか・・・。御用件はなんですか、御用件は!」
「まあ、それで一緒になったわけです。そりゃ最初はいい仲でしたよ、ええ、一緒に風呂行って、ご飯食べて、朝仕事行くぞって出かけようとすりゃ『行かないでえー』なーんてね・・・。」
「いい加減にしてくださいよ、もう・・・。」
「そんなんでしたけど、でもね、一緒になって20年もすると小言ばっかりでそれは口うるさくなって・・・。今も隣へ引っ越してきましてね、早速ほうきかける釘打ってくれって言うもんだから。壁に釘打ってたら打ち込んでしまって・・・。で、その先がお宅へ出てませんかね?」
「へ? それが御用件ですか。」
ことごとく量の公理を破って会話を無理やり進めていますが、これが落語でなければイライラすることでしょう。先ほどの場面との対比もそれぞれの会話を際立たせていて面白い噺です。次回以降は「質の公理」、「関連性の公理」、そして「様態の公理」についてお話しします。
大島希巳江
おおしま・きみえ
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。
1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。
著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。
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