大島希巳江
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科、「NEW CROWN」編集委員
2022年08月19日
ヨーロッパ諸国のように小さな国々が隣り合っている地域やアメリカやオーストラリアのような移民国家では、日常的に異文化、異民族の人々とコミュニケーションをとる必要があります。このような多文化、多民族の環境では、自分の文化圏のソトの人にメッセージを伝えるためのコミュニケーション力が鍛えられます。異文化コミュニケーション能力が極めて重要な社会ですから、それなりに工夫もするし、様々なスキルも意識的に身につけるようになります。
そのスキルの一つがユーモアというわけです。アメリカ人やオーストラリア人が陽気で面白くてジョーク好き、というイメージがあるとしたら、それは彼らが意識的にジョークを発信するからでしょう。ご存じの方はご存じのように、アメリカ人やオーストラリア人が全員陽気でおもしろいわけではありません。当然、個性がありますから、元々面白おかしい人もいますが、特別にフレンドリーでもなくジョークをほとんど言わないという人もいます。それでも、初対面での緊張感を取り除くためにアイスブレイクとしてのちょっとしたジョークや相手をホッとさせるための思いやりの面白い一言などを「言ってあげる」スキルは多くの人が持っていると思います。
ユーモアは思いやり?
私が大学院生の時にこんなことがありました。ユーモアを真剣に研究するきっかけの一つとなったエピソードです。東京である国際学会が催されたときに、そのお手伝いをしていました。イギリスから有名な学術誌の編集者が来るということで、私がその方をご案内することになりました。彼女は仕事に厳しいことで有名で、がっちりとした体格に派手な色のスーツと赤いメガネがトレードマークで、大学院生の私は怖そうな人だ、という印象を持っていました。8月半ばの暑い日に、渋谷をご案内することになったのですが、気が利かない私はお昼の12時にハチ公前で待ち合わせをお願いしました。暑い中、なぜあの混みあったハチ公前にしたのか…。しかも私は学会準備に追われていたため、12時の待ち合わせに遅刻してしまったのです。ダッシュで渋谷駅の人込みをくぐり抜け、ハチ公前に向かうと、もうすでに彼女はハチ公の真横に立っていました。心なしか怒っているように見え、彼女の半径数メートルは人がいないように感じました。怒られる覚悟で汗だくのまま、頭を深く下げて「申し訳ありませんでした!」と謝りました。すると彼女、「あら、遅刻してくれてかえってよかったわよ。ここであなたを待っている間に、素敵な男子高校生3人にナンパされたのよ。楽しかったわ」と言って、頭を上げた私にウィンクして見せてくれたのです。あっけにとられて笑うこともできず、ぽっかーんとしている私に、「冗談よ、さあ、行きましょう」と汗をふきながら笑ってくれました。
渋谷をうろうろしている男子高校生に、彼女をナンパする根性があるとは到底思えず、しばらくしてやっと、彼女が私を救うために言ってくれたユーモアのある一言だったのだと気がつきました。やはり、ユーモアは思いやりなのです。言わなくてもよいのだけれど、相手のために「言ってあげる」のです。「いいのよ、気にしないで」と言うよりも、ずっと強いパワーを持って「私は大丈夫、謝らなくていいのよ」というメッセージを伝えることができるのです。私がいつまでもへこんでいるのもつまらないしかわいそうだと思ったのでしょう。彼女の一言で、一気に空気が明るくなりました。本当にありがたかったです。うわさ通り彼女は仕事に対してはかなり厳しいことを言う人でしたが、私の中では彼女はずっと変わらず「良い人」です。
「ユーモア⇒好き」の連鎖
ユーモアによって、「この人は良い人だ。この人のことが好きだ」という気持ちを強く植えつけることができます。だから、人は好きな人を笑わせようとするのですね。これはかなり本能的な行為ではありますが、意識的に行うこともできるのです。多文化、多民族社会の人々は意識的に相手との距離を縮めたり、悪い雰囲気を吹き飛ばすためにユーモアを使います。お互いに好意を持っていたほうが、仕事も一緒に上手くできるはずです。
この、「面白い人⇒良い人⇒好き」の連鎖は興味深いですね。コミュニケーションや人間関係において重要だと思います。私は海外で英語落語の公演会を行いますが、同じことが起きているのを毎回実感します。「日本の落語って面白い⇒意外に日本人って良い人たちだ⇒日本文化、日本人が好き」という連鎖がはっきりと起きています。
ユーモアを生むコミュニケーションの秘訣とは?
さて、このエピソードの女性ももともと面白いキャラでもなんでもないはずです。教養ある素敵な女性ですが、ユーモラスなコミュニケーションスキルを身に着けた人なのでしょう。そうやって国際社会で人との関係を上手に築いてきたのだと思います。日本では、面白い人は先天的に面白い人で、人を笑わせることは誰でもできることではない、と思う人が多いようです。自分はおもしろキャラじゃないし、人気者でもないし、と思うかもしれませんが、ユーモアのセンスは先天的なものではありません。語学やその他の技術と同じように、学習して習得するものだと思いますし、多くの人がそうしています。(もちろん、語学やその他の技術と同じように、特別に才能のある人がいるのも事実ですが。)ですから、人を笑わせることをあきらめる必要はありません。多文化、多民族社会の人々は、スピーチの冒頭でどんなジョークを言って観客の注目を集めようか、プレゼンテーションの途中で聴衆が飽きないように面白いエピソードをどこに入れようか、ホームパーティでゲストをもてなすのにどんなジョークを仕入れておこうか…、などと頑張って考え、工夫して、その場にあった自分らしいジョークを常に探して取り入れています。そういった日々の創意工夫がユーモアあるコミュニケーションには必要なのですね。
大島希巳江
おおしま・きみえ
神奈川大学 国際日本学部 国際文化交流学科,「NEW CROWN」編集委員
教育学(社会言語学)博士。専門分野は社会言語学、異文化コミュニケーション、ユーモア学。
1996年から英語落語のプロデュースを手がけ、自身も古典、新作落語を演じる。毎年海外公演ツアーを企画、世界20カ国近くで公演を行っている。
著書に、『やってみよう!教室で英語落語』(三省堂)、『日本の笑いと世界のユーモア』(世界思想社)、『英語落語で世界を笑わす!』(共著・立川志の輔)、『英語の笑えるジョーク百連発』(共に研究社)他多数。
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