はじめに
グローバル化と多様化が進む中で,各国ではさまざまな言語教育改革が進んでいる。その柱のひとつが,小学校における外国語教育の導入である。しかし,小学校での外国語教育の果たす役割は,単に従来中学校で行ってきたことを,小学校で行うことにあるのではない。児童の認知・情緒発達上の特徴を生かした言語教育の導入をめざす必要がある。児童の外国語習得に関しては,まだ実証研究が少なく,各国ともに試行錯誤しながら実践を進めている状況だが,他国の実践のあり方なども鑑みた上で,筆者としては以下の提案を行いたい。東アジア諸国をはじめ,多くの国々では英語が外国語として小学校で導入されているので,本稿では外国語の一例として英語のケースを中心に話を進める。
(1) メタ言語能力を伸ばし,母語を言語体系のひとつとして意識させる外国語活動
早期に外国語教育を行うと,発音が良くなるはずだとか,外国人に物怖じしないで話しかける態度が養われるはずだといったことがよく言われる。しかし,その信憑性はともかくとして,それ以上に大切なことは,外国語に触れることによって,子どもに言語というものに対する意識を高めてもらうことにある。子どもであっても,外国語は母語のように習得することはできない。外国語への取り組みは,意識的な過程である。外国語に触れることによって,大方無意識に身につけてきた母語の音韻体系や統語体系,語彙への自覚を促すことが可能になる。ロシアの心理学者ヴィゴーツキーによれば,「この自覚的な言語操作は,言語発達上,自然発生的な言語使用の上にくるものである」という。つまり,外国語を学習することにより,自然発生的に身についてきた母語の言語発達レベルが,次の段階へ上がるということである。
言語に対する知識やそうした知識を使う力をメタ言語能力などという。メタ言語能力を伸ばすためには,アクティビティーの導入にあたって,子どもが自然に日本語と外国語の音の違いやリズムの違い,語彙の違いなどに気づけるよう,教師の側も意識的に取り組む必要があるだろう。日本語と外国語の違いを教師が「説明」する必要はない。子どもがみずから,「バナナじゃなくて,バ
ナア
ナだね」と気づけるようなアクティビティーが大切になってくる。動物の鳴き声も,言語によって表現の仕方が違う。そこから,外国語の音韻体系は日本語とは違うという自覚につながるとよい。また,日本語では「着る」「履く」「かぶる」などいろいろな単語で使い分けるところを,英語ではwear
なのだということに気づいていく過程で,母語への意識的な理解も深まっていく。
メタ言語能力を高めるための指導は,児童の認知レベルや環境に応じたかたちで,徐々に始めていく必要がある。ヨーロッパのように,小学校に上がる前からすでに日常生活の中で多言語に触れる機会のある環境では,幼稚園から多言語による絵本の読み聞かせなどを行い,母語とは違う言語の音や語彙,文字に触れさせ,母語との違いを意識させる教育を始めているところもある。一般に発達心理学上の知見から鑑みて,メタ言語能力を意識した指導は,母語の基礎が固まり出す小学校3
- 4年生ごろから本格的に始めるとよいと考えられる。
外国語の導入で,母語の発達が阻害されると心配する声もあるが,少なくとも小学校の外国語教育環境で,そうした懸念を裏づける実証データはない。むしろ,母語の豊かな使い手になるには,母語だけではなく,外国語に触れることが大きな助けになる。そしてメタ言語能力を高める指導は,子どもの認知発達レベルに対応しながら,中学・高校・大学へと継続していく必要がある。
(2) インプット重視の活動を行う
現行の小学校の外国語活動を観察すると,とかく「みんなで声に出して言ってみよう」型のアクティビティーが多い。しかし,言語蓄積が少ないなかで,無理にアウトプットを急がせても,定着につながらない。アウトプットは第二言語習得上,大切なプロセスであることには違いないが,現在の日本の小学校における外国語活動環境では,児童がアウトプットを行うメリットを享受する条件が整っているとはいいがたい。むしろ,友だちのあやふやな英語をたくさん聞くはめになることが多い。発音でも文法でも,習得が途中段階で停滞(化石化)してしまうと,かえって早期に外国語に触れたことがあだになってしまう。
小学校では,アウトプットを急がず,とにかく応用範囲の広いわかりやすい外国語をたくさん聞かせることが大切だろう。インプットを多く与えることで,外国語のピッチやリズムなどの韻律や,フォーム(語順などの統語構造,形態素など)に関する語感を養いたい。例えば,“I
am apple”
などと友だちが言ったときに,「何だか変だぞ」と気づく力である。小学校の中学年ごろまでは,大人には単調な繰り返しと思えるようなことにもあまり抵抗を示さず,韻律や語彙を使った言葉遊びを楽しむ力が強い。このような言語発達上の特徴を生かした形で,良質のインプットをたくさん与えることがまず大切だと思う。
担任の発音では心配という声もしばしば聞くが,最近ではCDやDVD,各種ソフトなど,さまざまな教材が充実している。韓国では一部の地域を除き,ALTがまだあまり入っていないが,それでもテクノロジーを駆使して,児童ができるだけ英語を聞く機会を増やしている。そもそもいろいろな英語に慣れ親しむことも大切であり,教材を十分に活用しながら,教師の英語も英語変種のひとつぐらいの気持ちで,堂々と取り組めばよい。子どもにとってむしろマイナスなのは,教師が自信のない様子を示すことである。
(3) 子どもが関心を持っている身の回りにある語彙を増やす
子どもは自分が興味・関心を持っているものならば,無理やり覚えさせようとしなくても,驚く勢いで語彙を吸収してしまう。特に,具体的なものを表す名詞は,導入の仕方次第で,かなり増やすことができる。子どもは忘れてしまうのも早いが,忘れてしまっても一向に構わないから,子どもが負担と感じない範囲で,語彙をどんどん導入してしまってよいと思う。韓国・台湾の英語指導では小学校終了時までに400語程度の単語を導入することになっているが,実際に子どもが授業の中で触れる単語はこれよりはるかに多い。大体,この程度の単語数で,最低限の簡単な日常会話だったら,なんとか事足りてしまう。例えば,英語のhave,
make, put, takeなどの動詞は,general purpose verbs
といわれるとおり,応用範囲が非常に広い。前置詞等をつけることで,いろいろな言い回しが可能になる。こうした基本単語を小学校段階で押さえ,それを使い回す練習を中学校で行えば,中学校卒業時までに,多くの国民が望むとされる「海外旅行で最低限必要な会話力を身につけること」は,決して非現実的な目標ではない。
(4) 絵本の読み聞かせや,読書(pleasure
reading)を導入する
ここで提案することは,何も中学校のリーディングを小学校レベルで導入せよということではない。絵本の読み聞かせを行ったり,絵本を自由に眺める機会を子どもに多く与えたりすることで,外国語による物語や,独特な言い回しなどへの興味,音と文字との関係,外国語の文字世界への親しみを持たせることを目的とする。絵本を読みながら「次はどんなことが起こると思う?」「どうしてこの男の子はこういうことをしたのかな?」といったような,推論や読解につながる質問をし(子どものレベルによっては日本語で行っても一向に構わない),日本語・外国語といった枠を超えた,読解力を養う下地を作りたい。その際,外国語独特の言い回しや,音と文字との関係,物語の展開の仕方などに,徐々に気づきを促していけるような指導ができるとよい。英語の場合,読解のハードルのひとつは,音と文字との関係をきちんとマスターすることである。その訓練を小学校から始められると,大変よいと思う。最近はCDやテープが付属した絵本なども多く出回っているので,そうした教材も十分に利用しながら,子どもが音と文字との関係を体感していけるようになると,中学校以降の英文読解にうまくつなげていけるだろう。
(5) 児童の多様な外国語への取り組みを考える
他の教科学習への取り組み方に個人差があるのと同様,児童の外国語への取り組みは一様ではない。言語を分析的にとらえる子もいれば,包括的にとらえていく子もいる。音の違いが面白い子も,文字から入っていくのが好きな子もいる。人前で大きな声で話してみるのが好きな子も,それが苦痛な子もいる。ゲームが好きな子も,嫌いな子もいる。子どもの多様な外国語へのアプローチに対応できるよう,活動のあり方も多様化する必要がある。現在多く導入されている,クラス一斉に声に出すことを促すようなアクティビティーの繰り返しは,見直す必要があるだろう。
おわりに
小学校での外国語活動は,大きな認知・情緒発達の中で包括的にとらえるべきである。外国語を導入することで,どれだけ当該言語知識や運用能力がついたかというだけでなく,それが児童の認知・情緒発達全般にどのような効果をもたらすのかという観点で,外国語教育をとらえていく必要があると思う。
バトラー 後藤 裕子
(ばとらー ごとう ゆうこ)
スタンフォード大学教育研究センターのリサーチ・フェローを経て,現在ペンシルバニア大学教育学大学院言語教育学科アシスタント・プロフェッサー。
韓国や台湾の小学校英語教育事情の精力的な調査を踏まえての日本の英語教育に対する提言は示唆に富む。
著書に『日本の小学校英語を考える』(三省堂)、『多言語社会の言語文化教育』(くろしお出版)。他、バイリンガリズム、第二言語習得、早期英語教育に関する学術論文多数。
|
|
英語教育リレーコラムバックナンバー
|