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英語教育における二つの対極 高校英語教育は、相反する両極に分断されているように思われる。一方の極にはコミュニケーション志向の英語教育が存在する。1989年の学習指導要領の改定で「オーラル・コミュニケーション」が導入され、それ以降紆余曲折はあったものの、「英語 I」と「英語II」が総合教材化された現在でも基本的にはこの方向性が踏襲されている。このことは1999年の学習指導要領で、「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や相手の意向などを理解したり自分の考えなどを表現したりする実践的コミュニケーション能力を養う」ことを外国語科の目標として規定していることからも明らかである。 他方、この対極に「受験英語」なるものが厳然として存在している。その正体は必ずしも明らかではないが、ここでは便宜上、「大学入試にとって必要かつ有効であると考えられている英語」と規定しておこう。とりわけ進学校においては受験対策の一環として英語教育が構造化され、英語学習への動機付けとしても利用される。その結果、語彙・文法・読解に特化された英語教育が推進されることになり、反面、コミュニケーション能力の養成は二の次、三の次となる。事実、高校の英語教員を対象としたアンケートによると、語彙・文法を中心とした練習問題には熱心に取り組むものの、コミュニケーション活動については、半数以上の教員が扱わないと回答している。 日本人の英語運用能力 こうした英語教育を通じて「英語が使える日本人」が育成されているのだろうか。話すことは苦手だとしても、少なくとも文法と読解については高い評価を得ていることが期待されるが、現実はどうか。TOEFLに基づく国際比較(2000年)によれば、日本は中国、韓国、台湾などに遅れをとっており、アジア地域20ヶ国のうち、18番目にランクされている。韓国と比較すると、聴解・文法・読解・作文の4領域すべてにおいて水をあけられているというのが現状である。もちろん、TOEFLの結果のみを基に、日本の英語教育を押し並べて評価するつもりはないが、少なくともこうした現実を謙虚に認識し、問題点を客観的に分析することから、将来へ向けての改革の方向性を探る必要がある。 読解能力とコミュニケーション能力の融合を目指して 高校での英語教育の現場に立ち返ったとき、まず、受験英語かコミュニケーション志向か、といった二者択一的な認識を改める必要があるように思われる。折しも大学入試センター試験で2006年度からのリスニングテストの導入が決定したが、これが起爆剤となり、両者の融合がもたらされることを期待したい。 そもそも思想・感情・情報などを言語を通じてやり取りする活動は、言語教育のもっとも本質的な部分である。またいわゆる4技能は、互いに関連して存在するものであるから、適切な指導法を用いれば、読解能力と聴解能力の養成を連動させることもできるし、会話能力と作文能力の養成を連動させることもできるはずである。とすれば、受験英語で強調される語彙・文法に基づく読解能力の養成はそれ自体何ら批判されるべきものではない。さまざまな英文(評論文・エッセイ・説明文・叙述文など)に接することは、英語表現の可能性に対しての感性を磨くことにも繋がるばかりでなく、英語による自己表現の可能性を拡げることにもなる。ただし、4技能を関連付けることによってはじめて、生徒がコミュニケーターとして自立することが可能になるということを忘れてはならない。母語話者の教育現場での活躍が日常化され、テレビ、映画、インターネットなどを通じて英語に接する環境が整っている現在、受験英語をコミュニケーション志向の英語教育といかに連動させるのかが問われているのである。
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