1.「自著自賛」――「序」にかえて
『VISTA
English SeriesT・U』の編集を終え、あらためて各レッスンを読みながら感じることは、自画自賛かもしれないが、執筆者一人ひとりのインテリジェンスの高さとテーマおよび時代性に対するセンスの良さ、それに三省堂編集部の批判者としてのセンスの良さである。
『VISTAT・U』はその編集方針のひとつとして題材に自然と人間との、異人種・異民族間の、障害を持つ者と持たない者との「共存・共生」という問題、戦争とその兵器がもたらす悲劇、言語の幅とその意味、人間の知恵、文化遺産の保護と保存などを軸に組み立てることを目指した。しかも、どのレッスンの内容も過去・現在・未来を話題にすることができるように工夫した。もちろん現在があるから過去があり未来があるわけだが、現時点的な話題だけに留まるような内容のものを選んでいないところにセンスの良さが感じられるというのが筆者の感想なのである。
ことに実在の人物の活躍などを取り上げると、伝記的にその人物の英雄的、あるいは悲劇的側面ばかりが誇張され過ぎるきらいがあるが、『VISTAT』LESSON
8 で取り上げたアイヌの血を引く加納沖さんのそれは自らのアイデンティティ模索の旅路という点で、日本とて単一民族社会ではなくずっと昔から多民族社会であったし、これから先はその傾向がもっと強くなる可能性があることを象徴している。なぜなら現実には、2000年の外国人登録者総数は168万6,444人(総人口の1.33%、財団法人入管協会)で、それ以前と比較すると年々増加しているし、また入国者数を含めるとおよそ500万人(総人口の約4%)に及んでいるからだ。また、異人種間結婚(我が国ではどういうわけか「国際結婚」と表現している)の率も上昇しているからである。加納沖さんがトンコリという楽器を自らの体内に流れる血の一部として保存しようとする姿勢は、日本も遅ればせながら文化多元主義的様相を色濃く帯びる傾向にあることを示している。文化多元主義社会ではそれぞれの人種・民族の母胎文化を尊重しあうからである。女優の忍足亜希子さん(T,
LESSON 10)やミュージシャンのエヴェリン・グレニーさん(U Step Two, LESSON 5)の話は、ただ単に聾者としての苦労と努力の話だけに終わってはいない。人に勇気を与えてくれるだけの話に留まることもない。「五体満足」だと思っている人にさまざまな面で自らの生き方を顧みさせる可能性を多分に含んでいる話でもある。つまり、障害を持つ者と持たない者とはその表現方法などに違いはあっても、人としてまったく変わることなく共存・共生が可能だというごく当たり前な事実に気づかせてくれる。この事実は今後の社会のあり方をどのようにしていけば良いのかという話題を投げかけてくれるだろう。オリンピック・メダリストのキャシー・フリーマン(U
Step One, LESSON 2)は、かつては被差別者であったことを充分知り尽くした上で、オーストラリア国民でもあるという二重性をむしろ誇りにしている。この二重性を日本人が理解することは非常に難しいと言われるのは、実は私たちがどこから来て、どこへ向かっているのかが分からないからではないだろうか? 言い換えれば、自然発生的に日本にいて、日本に留まっているからではないのか? グローバライゼイションが進行する現在、ひとつの社会の文化や宗教が多元化していくのはごく当たり前な現象で、その多元化こそが自らが住む国を文化的に豊かにし、またその現象を誇りにする人びとが生まれてくるのである。その象徴的存在としてのフリーマンをはじめ、加納沖やライフ・スタイルに違いのある忍足亜希子、エヴェリン・グレニーらの生き方はこれからの日本がどのような道を辿っていくべきかを示唆してくれているように思える。
こうした奥行きのある、つまり教授者側の姿勢、与えられた授業時間、学習者に予習・復習として与える課題次第で授業をいかようにも展開できるテーマが『VISTAT・U』では取り上げられている。
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