EXCEED
Series の4種類の編集を開始したのは、1999年4月である。あれから4年を経たが、昨年「英語T」を上梓し、本年は「英語U」「ライティング」が刊行の運びとなった。小論では「英語T・U」について、その理念や特徴を紹介するが、稿を起こすにあたって、4年前の当初に
EXCEED 編集委員会が行った情勢判断の結論をお知らせしておきたい。それは、日本および世界がめまぐるしく変動する中で、時代に適合し、これを凌駕するものは何か、換言すれば「時代に耐える価値観」「骨太な本物」を探求したいということであった。
●EXCEED の基本理念
おそらくどの教科書もこのような模索を行っているだろう。違いがでるとしたら、この「価値観」や「本物」をどう判断し、具現化しているかである。EXCEED
としてこれに答えるには、まず、当初うち立てた基本理念に触れることになる。次の2点である。
(1)ことばを「知る」「考える」「使う」ことによって、高校生が潜在的に持っていることばの感性と言語観を育む。
(2)ことばの学習という核を通して、高校生が自己や自文化にめざめると共に他者や他文化を受け入れ、人類の課題である平和、人権、共生に資する素養を育む。
第1の点は、一言でいえば、英語教育を通して「ことばの教育」を行うということである。ことばの教育は「知識・判断・使用」のバランスが必要である。「知る」については最近問題になっている基礎学力を保証しなければならない。「使う」については、周知のように、実践的コミュニケーションでも推奨されている。しかし、ただ単に英語を知っている、使えるというだけでなく、もっと広い意味で英語をとらえたい、いや、英語だけでなく、母語や他の外国語など「ことば」全体について考える機会にしたい。これが「観点」である。「判断力」と言ってもよい。これがあって、はじめて、新学習指導要領でも謳われている「自ら考える力」や「生きる力」が保証される。
第2の点は、改めて学校教育の原点に立ち返りたいということである。学校教育の原点は教育基本法の第一条で謳われている人格形成、そして、日本国憲法の前文でいう恒久平和である。前者は当然のことだが、英語学習が生徒の人格形成に供しているかの問題である。後者は、極言すれば、2001年9月の事件も2003年の「イラク戦争」も英語教育の問題としてとらえるということである。英語教育はコミュニケーションや異文化理解を標榜しているが、テロも戦争も「コミュニケーションがキレタ」状態であるし、異文化理解の負の対極でもある。また、英語が好むと好まざるとに関わらずに抱えている「一極集中」の現象は、特定の国の「一国集中」と紙一重の危うさを抱えているといえる。テロや戦争を起こさないようにするために、英語教育に何ができるだろうか。地道だが確実な対処は、英語教育を通じて他者や他文化を許容する資質の育成、人権や民族権、言語権、文化権を尊重する態度の育成を今まで以上に強く打ち出すことではなかろうか。そして、これは新学習指導要領の基本方針とも合致している。
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