三省堂 英語ホーム > 高等学校英語 > 『三省堂高校英語教育』 > 2002年 春号 今から始める英語教育改革への一歩(3) | ||||||||||||||||
■特集■ 新しい英語教育 富山大学教育学部教授(元文部省教科調査官) 5.継続的な前進のために 6.文法はどうするのかという疑問 実は、新学習指導要領では文法をそのようなもの、つまり、コミュニケーション活動を行うために必要なものと考えている。だから、科目によっては「指導上の配慮事項」として、「コミュニケーションに必要となる基本的な文型や文法事項などを理解し、実際に活用する」ことを求めているのである。 先生方は実践的コミュニケーション能力を育成するということと文法指導とは相容れないと考えているようだが、新学習指導要領の考え方はそうではない。むしろバランスを取ることの大切さを述べながら、まだまだ文法事項を中心とする言語材料の知識や習熟に重点が置かれがちなことを考慮し、さらに、究極的にはメッセージの授受ができなければ、言語材料の知識を増やしたり習熟したりする意味がないこともあって、コミュニケーション活動を重視する姿勢を示しているのである。文型文法事項は教えなければならない。それらは大切なものである。しかし、なぜ大切かというと、それは、コミュニケーション能力の一部として必要だからである。この関係を理解していただきたい。だからこそ、先の学習指導要領の引用にあるように、「コミュニケーション活動に必要となる基本的な文型や文法事項」という言い方をしているのである。 個人的にも、英語を30年以上勉強してきて言えることは、やはり、実際に英語を使って自分の言いたいことを言ってみる、書いてみる、人とコミュニケーションをしてみるという過程を経ることで、英語の能力が身に付いていくということである。ホンの数年で大学受験に対応した能力を付ける必要がある教育と、30年間ずっと英語の勉強を続ける人間とでは、勉強の仕方は違うという意見もあろう。しかし、授業で何度もドリルを繰り返し、暗記をしようと思っても覚えられないことが、自分で実際に1回でも使ってみることで覚えてしまうということは、高校生でも経験することだろう。確かに、それでも忘れてしまうのが人間としての限界だが、それに負けないほど豊かな英語の使用場面をたっぷり用意することが求められているのではないだろうか。一回のドリルやタスク活動で英語が定着するというのは、非現実的である。コミュニケーションそのものの楽しさを味わいながら、一歩ずつ熟達していくというのが妥当なところだと思う。 新学習指導要領による指導が始まるまでにまだ1年ある。それまでは今のままで良いと考えないでいただきたい。上で述べたような「一歩」でもかなり重荷に感じる先生方は、半歩でも良いから、前へ進み出してはいかがだろう。一緒にがんばっていきたい。 ← 3.どちらに向かえばよいのか 4.はじめの一歩はどう踏み出すのか |
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