I. 「二極化を克服し,高校にしかできない英語教育を目指そう」3年前,こうしたタイトルでコラムを書きました。そこで私が述べたのは,押し寄せる英語教育改革の波の中で,様々な新しい授業実践(例えば,「訳先渡し授業」「Student-Centeredな活動」「英語による展開」など)が増えている一方で,旧態依然とした訳読中心の授業形態も根強く残っていること,つまり二極化への危惧でした。ただし問題は,決してコミュニカティブか文法訳読かなどという二項対立に陥ることではなく,両者の長所を生かした高校にしかできない英語教育を目指しましょう,と提起しました。 当時,高校英語教育への風当たりは徐々に強まってきていました。文部科学省は2005年度の公立の中学と高校の授業実態を調査し,中学では授業のかなりの部分を英語で行っていると答えた学校が約4%あったのに対し,高校では「英語I」を主に英語で行っていると答えた学校が1.1%しかなかったと報告しています(読売新聞,2005年7月18日)。授業改善を促す意図で発表されたのかもしれません。そして,その延長線上に「授業は英語で行うことを基本とする」という昨年発表された新学習指導要領があるようにも感じます。
「授業を英語で行う」に関しては、英語教育に携わるかなりの専門家が疑問を呈しています。曰くその論旨には,「コンテント科目を英語で教えるならともかく,英語を英語で教えることには無理がある」「外国語学習は母語との対照において成り立つ知的作業であり,母語を介さない薄っぺらな教育にしてはいけない」などがあります。その主旨はわかりますが,私の意見は前回も述べた通り,英語教育の大きな目的(の一つ)が英語運用能力の習得である限り,授業のある程度の部分を英語で行うのは(文部科学省に指導されるまでもなく)当然のことであり,その点においてはすべての先生が「当たり前の授業」をする必要があるということです。 II. 「当たり前の授業」とは言うまでもなく,音声とは言語の本質である伝達機能と不可分な要素です。外国語学習においては,その言語の音声に親しみ,またその言語で発話することが学習活動の大きな柱の一つとなります。私事になりますが,私は日本語と英語の音声の違いについて考えることが楽しくて仕方ありません。授業で英語の発音指導をすることはとても大切だと思っていますし,またそれを楽しんでいます。英語で授業を進めるためには,まず教員が英語音声に関心を持ちその指導を楽しむ必要があると思うのです。私は,2005年から2007年にかけて奈良県の中高の英語教員(中学123人,高校134人,計257人)に発音指導についてアンケート調査をしました。その結果を荒っぽく述べますと,まず発音(個別音)の指導では,「積極的に指導をしている」と答えた先生は中高全体で約12%,「ある程度は指導している」が約44%でした。逆に「あまり指導しない」と「ほとんど指導しない」と答えた先生も約42%おられました。この結果は,韻律(イントネーションやリズムなど)の指導でもほぼ同じでした。また「英語音声指導に関して自信があるか」の問いには,「強くある」もしくは「かなりある」と答えた先生は,中学で約9%、高校で約8%、「あまり自信がない」と「ほとんど自信がない」と答えた先生は中学で約63%,高校で約52%もおられました。この結果を見ると,英語音声に大きく依存した発話行為(活動)に積極的でない先生の数は,中高ともまだまだ多いのではないかと感じざるを得ません。
もちろん音声指導や英語での授業展開が十分にできない裏には,学年の進度や受験対策への配慮もあるでしょう。また英語教育の世界では今,これまでのコミュニケーション重視の英語教育が見直され,広い意味での文法学習を強調する指導観が広がっています。ただし,だからといって,それは従来の文法訳読に回帰すればいいという意味ではありません。学習言語を多用して授業を進めることは,もはや世界の外国語教育の極めて常識的な「標準」です。たとえ教授法のPendulum
Syndrome(振り子現象)が生じても,我が国の英語教育でもこの「外国語教育の標準」に進む流れを止めることはできないし,またそれに逆行することは適切ではないと思います。もちろん授業での英語使用を我が国の「標準」にするためには,同時に受験問題も含めた評価方法のあり方を見直す必要があることは言うまでもありませんが。上意下達で「英語で授業をしなさい」と求められる前に,英語を使うことを「標準」,つまり「当たり前」にする必要があると思います。 III. 「授業のある程度の部分を英語で行う」とはでは文部科学省が新学習指導要領で謳う,「授業は英語で行うことを基本とする」とはどのようなことを指すのでしょうか。これについても英語教育の専門家たちは,賛成派から懐疑派まで様々な発言をしています。私は単純に,授業のすべてを英語で行うことは必要ないし適切でもないと思っています。そうしたことはイマージョン教育のコンテント科目に任せましょう。外国語学習の内容には,母語でなければ伝わらないことや,母語との比較でこそ理解できる事柄があるからです。 ではどのような場合を英語で行う「言語活動」と言うのでしょうか。狭義に解釈して,「言語活動とは口頭で行うコミュニケーション活動のことだ」と考える人もいますが,それは違うと思います。英語授業のすべての活動は「言語活動」のはずです。そしてすべての活動に,英語を使うべき場合と日本語を使うべき場合があるのです。例えば文法を教える際にも,英語の発話によって例を多数提示して,Implicit(暗示的)でInductive(帰納的)な理解を求めることが必要な場合もあるし,逆に日本語でExplicit(明示的)に説明しDeductive(演繹的)に理解させることが有効な場合もあります。要は,「英語を使ってできるのはオーラルコミュニケーション活動だけだ」とか「文法指導に英語は適さない」などと活動項目によって英語の使用・非使用を決めるのではなく,同一の指導項目でも学習の効率を考えて,ときに英語,ときに日本語と使い分けることが大切だと思っています。これまでの日本の授業では,日本語での文法解説やドリル学習といったExplicitでDeductiveな指導が中心的でした。ただし私たちが母語を学んだ過程は,たくさんのInputを浴びながら自らルールを発見していったImplicitでInductiveな行為だったはずです。これからの英語学習には,第一言語習得のときと同じように,実際に英語を聞き話す活動を通じたImplicitでInductiveな学習が,発音,語彙,文法という3つの基本の習得にも,聞き,話し,読み,書くという4技能の習得にも必要だと考えます。
では次に,「どの程度の時間,英語を使えばいいのか」について考えてみましょう。もちろんすでに授業のほぼすべてを英語で行っている先生もおられますが,ここではこれから始めようという方のために私なりのアドバイスを書きます。それは,まずは授業の3分の1,時間にして15〜20分程度を目安にしてみれば,というアドバイスです。そこには確固とした自信も裏付けとなる研究もありません。つまり,そのくらいが「敷居の高さ」を感じる人にはちょうど良い目標だと思うわけで,あまり上段に構えず気楽に行きましょうというのが主旨です。それができれば次は半分程度へと増やせば良いと思います。 IV. 英語を使った活動の具体例えー,3分の1は無理?そんなことはありません。英語で行う活動例を以下に載せますが,15〜20分なんてあっという間です。 1. Classroom Englishの多用 2. 英語で行うWarm-up Activities 3. Small Talk 授業の冒頭に英語を聞かせることが習慣となったところで,次に一歩上を目指しましょう。Small Talkを生徒の側のIntakeにつなげるために,前回の授業内容と連動させるとか,今日指導する語彙・文法事項などに関連付けるなど,ほんのちょっとした「しこみ」の工夫をしましょう。Small Talkの目的が明確であればあるほど,英語を使用する効果も大きくなり,授業時間を圧迫することが防げます。(→V. の「留意点」を参照。) 4. Oral Introduction Oral Introductionについては,数年前,大阪府立鳳高校(他)の先生方のグループによる素晴らしい発表(注2)を見せていただき,大変参考になりました。それは「高校英語I・IIの授業の大半を英語で行うための工夫」と題された実践報告です。Oral IntroductionをOral Interactionにまで高めた活動を中心に,まずは生徒に予習をさせる前にOral Interactionの形でこれから読む英文についてSchemaの活性化が図られました。決して話を聞かせるだけでなく,そこにはクイズ形式のQAが入っていたり,簡単な意見を求める活動もされていました。Oral Interactionは次のフレーズリーディングへと無理なくつなげられており,Top-down Readingの要素やできるだけ訳読を排除する工夫がなされていました。 Oral Introductionで学習する英文の内容を英語で要約して話し,生徒たちに聞かせPre-reading活動をしましょう。その際生徒とのInteractionがあれば,いっそう効果的です。 5. Communicative Activities V. 英語で授業をする際の留意点さて私は,英語で授業をする際にはいくつかの大切な「留意点」があると考えています。 1. 教員自らが英語の発音や英語での発話を楽しもう 2. 目的を持って英語を使おう(自己満足に陥らないように) 3. 英語使用が適さない活動では無理をして英語で行わない 文法指導でもImplicit / Inductiveに展開することが有効な場合もあります。そのためには,文法指導は解説とドリル練習で,英文理解は文法説明と訳読練習で,などという固まった指導観を変える必要があると思います。 4. まとまった英語での発話をしよう(「日本語←→英語」と,ころころ変えないこと) VI. 最後に昨年マスコミを通じて,「授業は英語で行うことを基本とする」という新学習指導要領に対する高校教員の様々な反応が報じられました。中には「実態がわかっていない」という憤慨した意見もありました。確かに押し付けられることには反発したくなるのが人情です。でも,押し付けられる前に,こちらから英語を使った「当たり前の授業」をしようではありませんか。まずは敷居を下げて,5分間から始めましょう。次に授業の3分の1,時には半分以上,たまたまほとんど全部を英語でやっちゃった,というときがくれば良いですね。高校の授業が良くなってほしいと願っています。そのためには英語でのInputを多用したImplicitでInductiveな活動の導入が不可欠だと思います。まずは先生自らが英語で話すことを楽しんでください。
注1 Sawazaki R. The Language Teacher. JALT. 29.
05 May, 2005
中井 英民 (なかい ひでたみ)
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