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三省堂高校英語教育 2002年春号
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■特集■ 新しい英語教育
新指導要領と新しい英語教育−教科書のあり方−

慶應義塾大学
霜崎 實(しもざき みのる)

教科書のあり方
 それでは、新たな枠組みを受けて、英語教科書はどのように変わるべきだろうか。

 教科書編集にあたって、まず最優先されなければならない要素は、題材である。コミュニケーション能力の養成は、伝えるべき内容があって初めて意味のあるものになる。「いかに」もさることながら、「何を」が重要であることは言うまでもない。そこで、題材の選択に際しては、学習者が「知る」価値、「考える」価値、さらに「感じる」価値のある内容を持ったものであることが望ましい。また、そうした価値のある題材の提示にあたっては、学習者である「高校生の視点」に配慮したい。学習者の共感に訴える題材が含まれていることで、英語という外国語を用いる心理的負担を軽減することも重要である。

 さらに、題材の多様性を確保することも大切である。具体的には、英語教科書として言語や異文化を扱ったものは必須であるが、広く現代社会を理解するための題材も取り上げたい。現代文明を理解する視点を提供するもの、環境問題を考えさせるもの、現代科学の可能性と限界を考えさせるもの、芸術・文化を理解させるもの、また、人間の生き方を考えさせるものなどは、多感な高校生にとって価値のある題材であろう。こうした多様なテーマを様々な角度から扱った題材を提供することで、多様な英語のスタイルや語彙に接する機会を提供することが可能となるのみならず、単なる日常会話とは一線を画したより深い意味でのコミュニケーション活動の素地を作ることができる。

 題材の提示方法もおろそかにはできない。これまで「英語I」「英語II」では、主として読解を念頭においた教科書編集が行われてきたが、指導要領の改定により新たなアプローチが必要となる。従来の叙述文・説明文形式に加えて、例えば、インタビュー、スピーチ、プレゼンテーション、手紙、Eメール、レクチャー、物語文などさまざまな形式で題材を提示することで、より幅広い英語に接する機会を与えたい。

 さらに、提示方法の多様性を確保するだけではなく、学習者が題材から得た情報をもとにコミュニケーション活動を展開する方向性を示しておくことが肝要である。実践的コミュニケーション能力の養成のためには、読んで理解しただけでは学習が完結したことにはならない。題材をもとに、自分の考えをまとめたり、またそれを発表したりすることで、英語を使っての「コミュニケーションの場」が学習者に与えられなければ、新しい英語教育の展望は開けない。したがって、これからの「理想的な英語教科書」に要求される条件の一つは、そのような場が作りやすい形で編集・執筆されているのかどうか、ということになるだろう。

教科書で教える
 「教科書を教える」と「教科書で教える」の区別については、教師にとっては常識中の常識であろうが、ここで敢えてこの点について触れておきたい。英語教師にとっては、教科書は英語教育の柱を成すものであり、それだけに、教科書に対する期待が予想以上に高いことを、様々な機会で高校の先生方にお会いしてお話を伺うことから痛感している。しかし、当然のことながら、それぞれの高校には、それぞれの高校の事情があり、また、生徒のレベルもかなり開きがある。そうした事情を捨象し、「理想的な教科書」ができるのかというと、答えは否である。教科書はあくまでも、紙の上に印刷された教材にすぎない。教科書が教材としての潜在的な力を持っていることは前提となるが、それを顕在的なものにするのは、教科書をそれぞれの現場に適した形で運用する役割を担った教師である。教科書を「理想的」なものとするには、教師の側が生徒に目を向けながら、「教科書で教える」意識を持って、その最適な活用方法を考えることが欠くことのできない条件である。教科書の可能性を引き出し、実践的コミュニケーション能力の養成を可能にするのは、最終的には教師の側の力量と想像力にかかっているといっても過言ではない。

おわりに
 本稿では、指導要領の改定を受けて、高校の英語教育および教科書のあり方などについて、筆者の考えを述べてきたが、最後に先生方へのメッセージを書いて結びとしたい。

 従来の訳読中心の英語教育を実践してこられた教師にとって、コミュニケーション志向の英語教育の重要性については納得しても、同時に不安と当惑を覚える方も少なくないかもしれない。しかし、それを避けては、新しい英語教育の地平は開けてこないのではないだろうか。確かに、こうした変革は一朝一夕でなるものではないのは承知であるが、しかし、英語教育の本来の目的が、英語という外国語を自分のものとして、最終的には、自らを発信する能力を養うことにあるとすれば、ここで勇気ある一歩を踏み出す必要がある。筆者の経験では、自己表現をしたいという潜在的欲求は、教師が考える以上に、学習者の側に存在しているものである。そのような欲求に教師の側が気づき、それを英語というメディアを使って達成させるならば、発信的な英語教育の実践への確実な出発点となる。残念ながら具体的な手法について触れる余裕はないが、少なくとも教師対生徒、という教育図式から脱皮して、生徒対生徒という新たな図式を取り入れることで、よりインタラクティブな授業の展開が可能となるだろう。そうした授業の積み重ねと実践によって、日本の英語教育が少しずつではあっても、より本来あるべき姿に接近するものと期待したい。

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はじめに−指導要領の改訂を受けて  4技能の関係と実践的コミュニケーション


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