呼ばれればどこでも演奏する、をモットーに活動している。全国中小企業連合会婦人部の大集会で(対バンは長刀だった!)、町の小さなカフェで、オーストラリアやイギリスのでかい野外音楽フェスでは何千という人の前で。場所は違ってもいつも持っていくのはトンコリだ。トンコリはカラフト生まれ、時代をさかのぼれば300年以上、もともとはシャーマン(呪術師)の道具であった。 小学校の体育館では先生に「今日はとっても珍しい楽器を弾いてもらいます」なんて紹介され「おれは珍獣か」などと心で妄想が広がるのを振り切るようなおっきな声で「みなさーん! おはよーございまーす!」というと、これまた元気な声で返事が返ってくる。大きな声援は体内のアドレナリンの分泌を急速に高める。これこそが最高のコミュニケーション。舞台は“神がかり”状態になり終演後はお客もミュージシャンもハッピーになる。「お客様は神様です」という名言があるが、神様とはアドレナリンのことをさす。 さて体育館では一曲目が終わったが、すでに児童の頭部は波間のクラゲのようにあっちへゆらゆら、こっちへゆらゆらしている。彼らの集中限界時間は意外と短い。ウルトラマンは3分なのでそれに近い。こんなときはトンコリはさっさとやめて、「ではみんなにアイヌの昔話をします。むかしサンヌピスタという村に男が住んでいて、ある日山に狩りに行ったら見慣れない家があるので不思議に思って覗くと、中には顔に傷のある女が靴を作ってました。よく見ると家の中には死んだ人が山積になっていました。顔に傷のある女は、この家に住む化け物にとらわれていたのです。家には弦の張ってないトンコリがありました。化け物がトンコリの音が嫌いだと聞いていた男は、死体の腕からこうやって血管を引き抜き!」ここまでくると児童はもうぴくりとも動かず話に聞き入っている。先生はというと、これからR指定に引っかかるような暴力シーンでもでるのではないかと緊張している。「化け物は人間が美しいと思うトンコリの音色が嫌いなのです。男は弦の代わりに血管をトンコリに張って一晩中弾き続けました。夜が明けようとした時、トンコリに耐えられなくなった化け物は天井の陰からどっすーん、と……」 なんてことはないアイヌ版日本昔話だ。児童も先生もほっと胸を撫で下ろす。そこでもう一曲トンコリを演奏する。さっきの話が頭に入っているので聞こえ方も変わってくるんだろう。みんな聞いている。感想文をあとでもらう。「はじめは眠かったけどトンポリはきもちよかった」これは楽器名が間違っている。「がんばってますね、これからもいい音楽作ってください」しっかり女房タイプ。「はなしがこわかった。ばけものそうぞう図」余白に胴体がとぐろを巻いたばけものの絵が描いてある。「ぼくはミュージシャンになりたいんですがやはり東京に行った方がいいですか?」ませてるなあ。みんなに同じ事を話しているのに感じ方はいろいろだ。ここがコミュニケーションの難しさであり楽しさだろう。 音楽は言語とは関係のないところで感情を刺激するので、アフリカのトゥアレグ人の音楽もインドネシアの音楽も、たとえ言葉がわからなくても受け入れる事ができる。音楽には基本的に一定の拍の上に音を置いていくというルールがある。これは世界規格といってよい。だから音楽は当たり前のように国境や人種を飛び越える。いっぽう言葉はそうはいかない。言葉の分からないことほど苦痛はない。打開策はスマイルか逃げるかだ。それでは困るので広まったのが英語だろう。幸いにも私はアメリカ長期滞在経験者なので英語はだいたいOK。しかしアメリカにいる時はどちらかというと喋るのは苦手だった。むしろ英語をぺらっぺら話せるようになったのは日本に戻ってからだ。たぶんトンコリという職業について精神的に安定したからだと思う。それにしても会話において中学、高校で習った英語は全然通用しなかったです。初めて行ったアメリカの税関で(たぶん)「滞在期間は」と尋ねられなんにも答えられなかった。そのあと別室に軟禁、取り調べ8時間、飛行機の発着もとうに終わった深夜、やっと解放されマンハッタンに向かう車の窓から見た摩天楼の夜景、ラジオからカーペンターズの「エーブリ シャララ エブリ ウォゥ ウォゥ」が聞こえてくる。切なかったがいいシーンだった。 *CHIKAR STUDIO -OKI OFFICIAL WEB SITE- http://www.tonkori.com |
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