高校時代、古典の授業、とくに和歌の時間が大好きだった。言の葉の持つ力、言霊を信じた。今でも変わらず和歌は好きだが、20代の終わりから、民間の人道援助活動に携わるようになり、戦争で荒廃した土地や廃墟になった都市を見、戦時中の人々の暮らしに触れるにつけ、ことばに対する思いも少しずつ変わったようだ。
7年前、内戦の続く、ボスニア・ヘルツェゴビナで、セルビア人勢力の支配地と、そこに囲まれたイスラム教徒の飛び地双方に、インスリン依存型の糖尿病患者のためのインスリンや注射器などを配布したことがあった。そのとき、『ことばは無効。約束ではなく行動を』と題したレポートを書いた。戦地では、「明日支援をする」、「来月、必要な薬をもってくる」、といった約束は、何十回繰り返そうと、信じてはもらえない。幾度となく数百キロの道のりを走って、前線を越え、武装兵士がにらみをきかせるチェックポイントを通過し、薬を届けて、はじめて生まれた人間関係や絆がある。人と人との信頼関係は、ことばや約束ではなく、行動で、繰り返し示してはじめて築かれるものと知った。私の援助活動の原点だ。
ことばに対するそんな思いを、また違ったものとしたのは地雷を禁止する活動を通じてだった。90年代初頭、カンボジアやアフガニスタン、モザンビークといった様々な救援活動の現場で対人地雷の惨禍を目撃した
NGO(非政府組織)が中心となり、ICBL(International Campaign to Ban Landmines =地雷禁止国際キャンペーン)を組織、活動は始まった。欧米のわずか2団体の試みは、瞬く間に大きなうねりとなり、ICBL
は今日までに世界90カ国の1100を越える NGO の連合体、ネットワーク組織に成長した。対人地雷の全面禁止というたった一つの共通項のために集まったのは、組織の目的も、国籍も、言語も肌の色も異なる
NGO だ。地雷汚染国と支援国出身の NGO の立場の相違、欧州の NGO と米国の NGO の考え方の食い違い、条約交渉中心の
NGO と現場の支援活動中心の NGO との優先順位の違い、異なる文化や社会背景からくる誤解、対立。常に、深刻な意見の対立、衝突に悩まされながらも、私たちが、対人地雷の禁止という目標を忘れず、分裂することもなく活動を続けることができたのは、いつもことばによるコミュニケーションがあったからだと、改めて思う。それは英語であったけれど、決して流暢なネイティヴのそればかりではない。様々なお国訛りの混じった、ときに文法もめちゃくちゃな、あるいは、発音さえおぼつかない、しかし、気迫のこもったそれである。97年末、ついに対人地雷禁止条約は形となり、署名式が行われる。同時に、私たち
ICBL はその年のノーベル平和賞を受賞した。今日、条約には146カ国が参加したが、いまだ50カ国近くが未加入だ。そうした国々に参加を促すこと、既に被害者となった方たちに、義足や職業訓練といった社会復帰のお手伝いをすること、地雷原に住む子どもたちが、地雷の事故にあわないよう、地雷回避教育を続けること、そして、既に埋められた地雷の除去を行うこと。私たちの活動は、世界から地雷の被害がなくなる日まで続いていくが、さまざまな場で、これからも、人と人をつなぐ、ことばと行動が、力を発揮していくだろう。 |