公立小学校への国際理解教育(英語教育)の導入にあたって、教授方法や教材の選択など教育現場で直面する問題に児童英語教育の第一人者が熱く提言。こうすれば必ず成功する、小学校英語教育のアイデア集。
1999年11月1日 発行
『こんなふうに始めてみては? 小学校英語』
(「ぶっくれっと」140号より)
久埜百合
この度、英語教師として試行錯誤を重ねて自問自答しながら、十数年にわたり書き溜めてきたものを、一冊の本にまとめることができました。多数の方々に読んでいただける形となりましたことを望外の喜びと感謝いたしますとともに、その答を探る道程で最大の教師であったのは、他ならぬ子どもたちであったという思いを新たにしております。長い年月、辛抱強く私に付き合ってくれた子どもたちに深く感謝したいと思います。さらに、子どもたちに英語の「何を」「どのように」「何を使って」教えるべきかについて、考えていく道筋でいつも私を支えて下さった多くの方々、その内外の先達者から受けた言い尽くせぬご恩を心に刻んでおきたいと思います。
振り返ってみますと、私が子どもに英語を教え始めた四十年ほど前には、この仕事が奇異の目で見られておりました。「英語は中学から勉強するもの。子どものためにならないから止めるように」と真顔で忠告して下さった幼児教育の専門家もおられました。そのとき以来、英語を覚えて使えるようになりたいと無心に願う子どもたちを前にして、「ここで止めることはできない。"子どものためにならない"ことだけはしたくない」と思い続けて何十年も経ってしまったのでした。
子どもに英語を教えるための教材や教具といえるものは一切なく、参考にすべきカリキュラムもない時代、わが家の家財道具や娘のおもちゃや絵本が教材のすべてでありました。オックスフォード大学出版局から出されていた黒い線画のワークブックが新鮮に思え、アメリカからのヒスパニック向けと思われる挿し絵の入った子ども用の色刷りテキストが洋書専門店の棚の隅におかれていた頃が、今にして思えばうそのようです。
無手勝流の授業ではありましたが、日常生活の中で子どもが必要とする表現を英語にして語りかけ、英語で指示を与えながらおもちゃで遊び、絵本を解りやすい英語で読み聞かせている間に、私の英語の授業のスタイルが生まれました。こうして教えている間に子どものさまざまな反応に出会い、その度に修正を加えて今日に至ったと言えます。
二十一世紀を迎えようとしている現在、小学校への英語教育導入についてさまざまな議論が行われております。すでに公立小学校での取り組みも進んではおりますが、決して現状は平坦な歩みを続けているとは言い難いものがあります。しかし、小学校の現場で、実は英語を教えるとは夢にも思っておられなかった先生方が、明日の子どもたちのために精力を傾けて英語を媒体とする授業のあり方を探っておられます。些細な失敗も許されない教場での一つ一つの試みが、いま全国で積み重ねられています。本書が、そうした日々の営みに役立つことを願ってやみません。
この数年、教育機器の開発は目覚ましく、とくに2000年を目標にコンピュータの導入やインターネットによる学校間のネット化が進んでおります。2005年には光ファイバーによってすべての電話網が繋がれることで、日常生活の手段も授業の形態も大きく変わる時代がそこまで来ています。そして、機械を造り出し、使いこなしていくために、国境という政治的な枠を越え、物理的な距離を超越して相手と向かい合い、文化的な背景を異にする人々と真摯に語り合える共通の言葉が必要になっています。生活の道具としての英語の運用能力を身につけるために、もう一度子どもの言語習得のプロセスを振り返り、英語教育に打ち込もうとする学生とともに指導技術の向上をめざし、二十一世紀を生き抜く逞しい力をもった人間を世に送り出す方策を考えていきたいと思っています。
(くの・ゆり 文化女子大学非常勤講師)
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