地雷をなくしたい!
ひとりで2〜3万個の地雷を処理し、アンコールワットのそばに地雷博物館をつくり、地雷で手足をうばわれたこどもたちを育てるアキラ
Akira(カンボジア人)は5歳でポル・ポト軍に両親を殺され、10歳で銃をもち、20歳までカンボジア内戦(1970〜98年)を戦った元少年兵。
「アキラ、うちの畑の地雷を掘ってくれ」「大変だ。こどもが不発弾で遊んでいる!」 すぐかけつけるアキラは村人に信頼される地雷処理のエキスパートです。「地雷がなくなるまで、最後まで掘りつづけたい! 人々を地雷の恐怖から開放したい!」 それがアキラの夢だ。
パート1●アキラが見た戦争の話 パート2●地雷で被害を受けたこどもたちの話 ●ふりがなつき(中学生以上から読める)
●本書は、荘厳な遺跡で有名なアンコールワットの町、カンボジアのシェムレアップにある「アキラの地雷博物館」の館長、アキラの数奇な少年時代と、その後の活動、および地雷博物館のこどもたちの声を1冊にまとめたものです。
●地雷博物館は小さなジャングルのように愛らしい、ユニークな博物館です。かつて地雷を埋めた少年兵(今は地雷を掘る人)と、地雷の被害にあったこどもたちが、地雷とともに住み、生き生きと暮らしている、まさに「生きた博物館」なのです。世界中からここを訪れる人、とくに同世代の若い人に強い印象を与えています。
著者紹介
アキ・ラーAki Ra (アキラの地雷博物館・館長)
日本人の名前に似ているということで通称で「アキラ」と呼ばれている。
32歳(2005年現在)。カンボジア人。
5歳でポル・ポト軍に父母を殺され、武器を使った訓練を受け、 13歳でベトナム軍、16歳でカンボジア軍と、ジャングルでの戦いに明け暮れ、その間に埋めた地雷はのべ「1万個」。20歳で国連軍で地雷処理を始める。
村人に頼まれて地雷や不発弾処理に無料で出かけるディマイナー(地雷掃除人)。
26歳(1999年)で自宅兼「地雷博物館」を公開。どこからも援助なしに見学客の寄付で運営。
「地雷の危険と戦争の悲惨さを伝えたい」と自分で掘った地雷や不発弾を展示し、戦争孤児や地雷被害のこどもを養育している。
今までに処理した地雷は、のべ「2〜3万個」。
アキラの地雷博物館は、カンボジアのシェムレアップ、アンコールワットの遺跡から5キロのところにある。


『アキラの地雷博物館』■目次
◎地雷博物館(カラー写真)
◎ようこそ地雷博物館へ
◎アキラの年表
パート1■マイ・ストーリー(アキラの物語)
【1】戦争孤児
●こどもグループ●父のこと●母のこと
●父と母が殺されたときのこと●いちばん古い記憶
●ブタの餌を食べた友だち●バナナを盗んだ男●悪い人、良い人●教育
【2】ポル・ポト軍で
●初めての銃●泳ぎ●友だちの死●制服
●毒入りスープ●生け捕り●戦車●ノーチョイス(選択肢なし)
【3】ベトナム軍で
●ゾウの鼻●ソ連製モン50地雷●毒ガス入り弾倉●B40手榴弾
●クレイモア地雷●パトロール隊●牛と地雷●叔父さん●敵と味方
●村の襲撃●地雷の被害●友だちと地雷●人間地雷探知機
●ベトナム軍による破壊●サルとクマと地雷
【4】カンボジア軍で
●AK47をもって通学●対戦車地雷●奇襲
●強奪とワイロ●強制労働●検問所
【5】アンタック(国連軍)で
●カルチャーショック●地雷処理を始める●1人で掘りつづけていこう
【6】地雷博物館をつくろう
●戦争の遺物●1人で建てよう●泥棒も友だち
●見張塔●地雷博物館オープン
【7】ディマイナー(地雷掃除人)
●シンプルな方法●村の人に頼まれて地雷を掘る●仕掛けられた地雷
●カンボジア製の地雷はない●赤ちゃんと地雷●新たな被害
【8】生きること、死ぬこと
●わたしの家族●戦争中いちばんつらかったこと●死ぬこと●まきぞえ
●お前は敵だ!●両親を殺した人も友だち●人のために生きたい
【9】カンボジアの歴史
●ラカオン(劇)の練習
パート2■地雷博物館のこどもたち
(それぞれのこどもたちの写真と文)
◎アキラQ&A
◎本書ができるまで |