教員が想像している以上に,子どもたちはメディアに浸った生活をしている。テレビのバラエティー番組,ゲーム機の氾濫,インターネット上の掲示板,ケータイによる友だちとの情報交換……これらはもはや日常茶飯事だ。
思えば大人のわたしたちも同じようなものだ。朝起きたらテレビのスイッチを入れ,通勤時には車や電車で音楽を聞く。旅行に行く前にはインターネットで乗り換えを調べ,チケットを取る。時には友人とケータイで長電話をする。仕事上でもプライベートでも,メールチェックは不可欠。わたしたちもまた,メディアに浸った毎日を過ごしている。それが現代社会だ。
しかし,わたしたち大人のメディア接触と,子どもたちのメディア接触とは,違う部分がある。
ある怪しげな情報があったとき,わたしたち大人がそれを疑って見ることができるのは,日々の生活で獲得したさまざまな常識が備わっているからだ。それらの常識は,これまで長い時間をかけて獲得してきたものであり,親から子へ受け継がれ,学校で教えられてきた。
もちろん現代の子どもたちも,親や学校から常識を学んでいる。しかし,常識を学んでいる途上にも関わらず,すでにたくさんのメディアに接触してしまっているのだ。それらのメディアで起こっている現実を見て,それを常識だと学習してしまう可能性がある。特にネット上では,大人から見てもふさわしくない非社会的・反社会的な行為がたくさん見られるが,子どもたちはこれすらも常識だと勘違いしていく可能性があるのだ。メディアが隅々まで普及した社会での子どもたちの健全育成は,簡単ではない。
メディアとのつきあい方は,本来的には,子どもたちがメディアの活用体験を重ねるうちに,次第に学び取っていくものだ。しかし,上記のような現実が横たわっている以上,子どもたちの気づきを待っているようでは教育が手遅れになってしまう。すべての子どもたちに,情報社会における最低限の知識や考え方を教えておくことは,彼らを健全な社会人として育て,情報社会を望ましく形成していくための学校教育の役割だ。学校教育がこれを放棄したら,子どもたちは危険な世の中を形成してしまう張本人になってしまう。
今,学校の役割は大きい。