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小学校の教頭だった父が社会研修旅行でソ連時代のエルミタージュ美術館を訪ねた時の話です。現地の通訳はロシア語も日本語も完璧なアジア系の男性でした。貴族を描いた絵の前で、男性が言いました。「この貴族はまれに見る好色漢で…」。父はたいそう感心しました。なぜなら、男性が「好色漢」という日本人でも滅多に使わない言葉を使ったからです。「日本語がお上手ですがどちらの方ですか?」と尋ねると、「北朝鮮です」との答え。「日本人も使わない言葉を使いこなしておられましたが、どのように日本語を勉強されたのですか?」「読書とテープを聴くことです」。 中学生の時にこの話を聞いた私は、2つの点で刺激を受けました。1つは外国語の習得は難しくても、やり方によっては究められること。もう1つは、ネイティヴ・スピーカーの中に、学習者の努力を理解できる人がいるということです。通訳男性の話はいつまでも心に残り、十数年後、英語会話の勉強を始めた頃、この男性は私にとって理想像となりました。英語の道は遠く、なかなか理想には近づけません。時に挫折の色を濃くします。しかし、英語学習を城攻めに例え、フレーズや文法を学ぶのが本丸の攻め、英語の周辺情報を得るのが堀を埋める作業と心得て、さまざまな本を読み漁ってきました。ここに紹介する大津栄一郎※著の『英語の感覚(上・下)』(岩波書店、1993)は、私の「英語」の「感覚」を変えた1冊です。 1年間アメリカのハーヴァード大学に留学した著者は、前書きに書いています。「…1年たっても英語はうまくならなかった。教授と学生たちがくつろいで話している時など、一言もわからなかったし、いつまでたっても英語で話すのが楽になることはなかった」。英語の第一人者で、知識も経験も一般の日本人と比較にならない著者の正直な告白に感心します。 なぜ英語は日本人の身につきにくいのか。第1部で、「英語国人には『(日本語人には)見えないもの』が見える」ため、「英語には『(日本人に)見えないもの』の表現が組み込まれている」といい、第2部で、英語国人の認識や知覚には、「二重的あるいは二項対立的特質」があり、常に「『現実界』と『非現実界(見えないもの)』の二種を意識している」と述べています。つまり、日本語を母語とする人にとって英語が身につきにくいのは、英語を母語とする人との間に、ものの見方・感じ方・考え方に根本的な違いがあるからだということです。このことは、あたりまえのようであって意外に気づかれていません。多くの英語学習者は、日本語を英語に置き換えていこうとしているのではないでしょうか。 「見えないもの」の表現とは、例えば「仮定法」です。『英語の感覚』を読むまで、「仮定法では現在は過去形で表し、過去は過去完了形で表す」という説明で混乱していた私は、読了後「仮定法は非現実の世界」の言い方だから現実の世界と区別するために過去形で現在を表すのだとはっきり理解できました。 小学校英語活動の目的の1つに「文化的な気づき」がありますが、この本を読んで私自身が新しい気づきを体験しました。今では、日本語と異なった表現方法に出会うと、細かい意味にこだわらず表現方法の奥に潜む「感じ方」「考え方」に目を向けるようになりました。 大津栄一郎氏の『英語の感覚』は、英語についてのさまざまな疑問を、ものの見方・感じ方の違いという観点から解き明かしてくれます。それは、単に表現上の問題ではなく、世界をどう見ているかという深いところで生き方に結びついている、ある意味で決定的な相違の上に英語が成り立っているとの認識をわれわれに与えます。そして、その認識は、英語の道を最大限に歩みやすくするのです。 葛葉 哲哉 (くずは てつや) Copyright (C) SANSEIDO publishing co.,ltd. All Rights Reserved. |